2月2013

かせだうち

生活

 鹿児島県の南薩摩地方というより、「知覧」あたりといった方が、耳に馴染みがあるだろう。この「知覧」あたりに小正月の行事として「かせだうち」という行事がある。「かせだうち」は、普請をした家々を正体不明となるような化粧を施して、八百万の神々に扮して回るのである。

布袋様や弁天様に扮した神様は、祝儀袋に八兆八千八百八十八億八千八百八十八万円などと書いて差し出したり、目録にロールスロイス10台、航空機10機、豪華客船10隻など、しゃあしゃあと書き込んでみせる。迎える家の方も負けていない。焼酎の変わりに、「みりん」や「酢」「醤油」を勧めたり、「おたまじゃくしの吸い物」や「鶏の頭の吸い物」などを勧めたりする。御互い、ふざけながら好き勝手なことを言い合う抱腹絶倒の行事である。いかにも、鹿児島のおおらかな行事にも思えるのだが、「かせだうち」の語源は、どうやら「嫁いだうち」ということらしい。

「嫁いだ娘」の様子を「嫁いだうち」に見にゆきたいが、どうしても気兼ねをしてゆけない。だから、小正月あたりに、嫁いだ娘の父親や親戚が正体不明の化粧をして会いに行ったということらしい。ユーモラスだがいじらしい父親の心に思いを馳せてしまう。



「男は三年に片頬緩む」程度がちょうど良いといわれて時代、嫁いだ娘を心配する父親は、どんな思いで娘の暮らしぶりをうかがっていたことだろうか。

相当な覚悟を持って嫁いだ女性たちの時代が過去のものとなり、比較的自由に実家との往来をする女性たち。家事労働も家電発達で様変わりし、女性の社会進出で随分と様変わりもした。今では所得格差が、学歴格差などと揶揄されてもいる。自他ともに認める世界で最も公平な社会の変質は、なんとも歯がゆく残念でならない。真にゆたかな社会を標榜して先人達は礎を築いてくれた。また、惜しむ事のない勤労で、戦後の復興を見事にやり遂げてくれた。だが、豊かさの意味を解さずに月日を空しく費やしたこの国は、既に社会の精神的な支柱も崩壊の危機感が漂う。その処方箋は、やはり「つながり」であろう。

現代版のチルチルミチルの「青い鳥」を探しにゆくとどうなるのだろうか?

街にある巨大なマルチビジョンやサインシステム。あるいは、自動車や携帯電話のナビゲーションシステムはどこに導いてくれるのだろうか?相もかわらず、

「青い鳥」は家の中にいてくれるだろうか。携帯電話やメールで、誰しもが気軽に連絡を取れるようにもなった。電話を発明したベルの電話での第一声は「話があるから来てくれ」だったという。電話は、連絡をする道具、声を聞く道具であって、話は顔を見て向かい合いするものということだろうか。

「かせだうち」同様に、「今いるうち」も「育ったうち」も大事にしたい。