2月2013

鼻の奥がツーンと

生活

 暦の上では、すでに春である。しかしながら読者諸氏は、たぶん一年のうちで最も寒い時期をお過ごしになっていると思われる。すこしばかり、心が温まるような話でもしてみたい。

 

「郭公」(かっこう)という舞台作品がある。ほとんど台詞の無い、ふたりの老夫婦が登場人物の短い二幕の芝居である。残雪が遠くに見える、そして教会の十字架の見える、貧しそうな小さな家の中に、今にも息を引き取りそうな爺さんが横たわっている。「おばあさんや、裏山の郭公はまだ鳴かないかね」。爺さんは、今生の別れにもう一度、郭公の鳴き声を聞いてから死にたいというのが悲願。婆さんは、爺さんの問いかけに「おじいさんや、今年は春の訪れが早く、一月も早く春がやってきたのよ。もう、雪が消えたし天気もよければ、明日にも郭公が鳴きますよ」と。第一幕は、ここで終わる。

そして、第二幕が始まる。婆さんが楡の木に登り始める。手足に傷を負いながら懸命に登る。楡の中ほどまで登ると「カッコウ、カッコウ、カッコウ」と鳴き続ける。教会の鐘の音、賛美歌の中の流れる中、爺さんの耳元に郭公の鳴き声が届く。目前に迫った死を前に、臨終の時を予感した老人の切ない願いだった郭公の鳴き声が届く。「わたしは、なんて幸せなのだろう」。「でも、長い間苦楽をともにしてきたおばあさんと一緒に聞きたい」。爺さんは、最期の力を振り絞って「おばあさん、郭公の声を聞いたよ」と叫び、息を引き取る。満足そうな婆さんの姿。そして、幕。

 

さて、話をもうひとつ。1999年から某信託銀行が、『60歳からのラブレター』を募集し、昨年11月に13年目を迎えた。刊行されている編集本の中から手紙を紹介したい。難病に冒され、足が不自由になった2009年当時63歳の女性から、夫にしたためられた手紙である。

“夫である貴方の名前を私は日に何度呼ぶことでしょう。ベッドから車椅子に移る時「お父さん」、車椅子から便座に移る時「お父さん」、ベッドの上で着替えをさせてもらったまま、立ち上がれない私に「お前が逝ったら、俺もなるべく早く逝って着替えさせないといけないな」。私は、鼻の奥がツーンとしました。”この手紙は、平易な言葉だけで綴られている。しかし、宝石のような輝き

がある。情感を高貴に、あるいは繊細に飾る言葉は使われていない。虚飾は、一切排除され、信頼が永きに渡り醸成されたふたりの暮らしが垣間見られる。

夫婦ふたりの道行が、青年期以降の人生の歩みの大方であるならば、背負う

苦労もお互いを頼り、頼られ、健やかに、できるだけ遠くまで仲良く歩んでもらいたいと願うばかりである。すべての人生に、幸多からんことを祈りつつ。