2月2013

島国の民の特性か?客観性に欠ける市場戦略思考

生活

 中国が、改革開放経済に舵を取ってから四半世紀以上になる。

中国人民の生活も克服すべき格差の問題はあるが、統計上はかなり豊かになった。不満を抱える大きな層が、社会に横たわってはいるが大国意識も発揚され、人民の目は外へ向けられてきている。もともと、歴史的にも商売に才能豊かな民である。この四半世紀で商売のために、中国人民が国外に進出した先は、世界中の地の果てまで達している。ゆえに、経済摩擦も多いのだが、『現地化』に対する心構えや能力開発手法については、謙虚に日本人は学ぶべきであろう。

 

白物家電と呼ばれる電気製品群がある。すなわち、冷蔵庫、洗濯機の類である。日本のメーカーは、付加価値も小さく、価格面で競争にならない分野でもあり、市場を食われても仕方ないと嘯いたが、果たしてそれだけだろうか?

日本のメーカーは、OEM供与を受けて中国のメーカーの製品を日本の市場に投入しているが、付加価値以上に太刀打ちできないものがあり、理由付けを後からもっともらしくしているだけではなかろうか?。

 

中国を含むアジアには、中国やアジアの優良企業だけでなく、欧米の企業が成長著しい市場に存亡を賭けて進出してきている。市場の有望性から考えても、最後のフロンテイアになるかも知れない。

一部、三菱や三井の工業素材扱う大手商社などを別にすれば、事業本体の実質的な所在地をまるごとアジアの拠点移している企業は、ほとんど見当たらない。最初から腰が引けているのではないのだろうが、第二次世界大戦中の「大本営発表」を連想させてしまうような状況である。

すなわち東京あるいは大阪にある「大本営」は、進出地域の「駐在幹部」の報告を受けて、地図の上で演習を行いながら作戦指示を出すのだ。「現地のことはなんにも知らないくせに」と思われながら。

 

その昔、流行語の”KY”~”空気が読めない”が、日本で一世風靡していたころ、中国やアジアの振興国市場に駐在していた企業戦士も”KY”を口にしていたらしい、ただし”OKY”~”(そういう)お前が、ここに来て、やってみろ”と。市場戦略を行うのに、現地化は必要不可欠である。にもかかわらず、新興国市場に遅れてやってきた企業でさえも、未だに大本営発表方式で市場戦略を立てているところが多いと聞く。有望市場に参入できる国内事業であっても単年度黒字まで8年ほどは、平均的に月日はかかる。大海を知らない島国の民のような思考習慣のままだと、淘汰されるにきっと違いないのだが。

 早 春 賦 

生活

 穏かな暖かな日が続いている。“春は名のみの風の寒さや”と思わず歌の一節が口をついて出てしまう。この冬は、比較的に暖かいということもあったが、風が穏やかで、陽射しの柔らかい午後、風の冷たさと春の陽射しを味わいながら草花の手入れをするのも愉しいものだ。しかしこの冬は、3月にチューリップを咲かせる予定で球根を植えたも、思いのほか目覚めが早くて驚いた。今は、向日葵の種播き時をどうしようかと思案している。地球温暖化傾向も定着しつつあり、種苗メーカーも「春播き」「秋播き」の記述に関しては見直しが必要になるのではないだろうか。

さて、春秋は微妙な季節の味わいがあるようだ。

秋、いよいよ深まるといういい方をする。春、まだ浅いといういい方をする。

夏や冬には、そのような言い方がない。ある意味、盛りや極みを表す季節感が

深いとか浅いとか言わせにくいのだろうか。いや、季節の色感なのだろう。

詩歌が海を渡ってきた時、この国の先人たちは季節の景色を愛でる秀逸な表現を学んだことだろう。景色は、季節の筆がつける色なのだと先人たちが思い、さまざまに言い残した大和言葉であれば、季節を深い浅いとした感覚は尊い。

 

書画。当初、禅宗とともに伝来した時は、書も画も区分けられずに伝わってきた。その頃、中国の墨と紙をありがたく拝むようにして使っていたことだろう。しかし今は、贔屓目なしに日本の方が、匠技が勝り、墨も紙も質が高くなったようだ。青墨は、松を燃やし、その煤(すす)を膠(にかわ)で固めてつくる。奈良の匠の話として、墨を納めた箱に青は、十三種類あると書いてあった。当然、青は藍より出でて、なお青しというくらいだから、藍から始まり、紺も濃紺もあれば、浅黄色など色に濃淡深浅の表現がなされる。青墨は、十三の青い色を細かく表現はできないことだろうが、深い浅いという青であれば墨を白い紙に筆で走らせることはできる。

さて、水墨画の世界に親しい禅師のことばを紹介したい。

花は愛惜にちり、草は棄嫌に生ふるのみなり

雪裡の梅花只一枝

雪月是同なり、渓山格別なり ~ 道元禅師 ~

雪深い越前の永平では、墨の衣をきた雲水(修行僧)たちが只管打坐という坐禅の修行をおこなう。只管(ひたすら)に座るのであって、懸命に坐するのではない。ただ坐するのである。力んでもいけない。只管は、本当に難しい。

いつも目にする色鮮やかな世界。凡夫は、目にしても殆ど印象を心に刻むこともない。自然と向き合い、自分と向き合い、命を惜しむように暮らせる境涯に辿りたい。何より他者へ労わりの心情が、豊かな景色を見せてくれよう。

「老境、仕事の意味について考えたこと」

生活

 JR線某駅に、毎夕、ベビーカステラの屋台が出る。店の主人は、腰が曲がった体躯。乱杭歯で痩せ型だが、血色よく頭のてっぺんまで光っている。歳の頃なら、ゆうに七十半ばを越えているように見える。この御仁、土日も祝日も関係なく夕方から終電の到着まで屋台を出す。

昨年、この御仁が休みをとったのは、10回も無いと思う。その日は、台風が

近づいたとか、大雨とか、強風で屋台が立たないとかやむを得ずという時だ。

寒い、暑いなどは関係ない。雪の日も雨の日も黙々とベビーカステラを焼き続ける。焼いたベビーカステラがたまると、曲がった腰を伸ばすように、焼き菓子を作る機械を置いたテーブルに手を着く。そして、売り始める。啖呵売するわけではない、はにかんで売るので何を言っているのかもわからない程度。

だが、人気がある。一所懸命な姿がいいのかも知れない。学習塾に通う小中学生や浪人風情の予備校生、ギターを抱えたサークル活動風の学生、いかにもといったインターン風の医学生らがベビーカステラを買いに来る。この御仁は、口が上手ではない、乱杭歯を見せながら作り笑顔を見せながら、「勉強は大変か?」とか「家は遠いのか?」など他愛もないようすで話かける。

しかし、子どもらでも、この御仁の人柄を見てとっていると思う。

腹がすいたら、直ぐそばにコンビ二ショップがある。ファーストフードも夜遅くまで、そば・うどん、カレー、牛丼、ラーメン、ちゃんぽん、の店が並んでいる。屋台で焼くのだ、決して衛生的ともいえない。しかし、売り切れていたら並んでも買ってゆく客がたいていなのだ。



この御仁には、弟子らしき者がいる。かといって、ベビーカステラを焼くことなどしない。いつも老躯に鞭いる御仁の身の回りの世話をしているのだ。この弟子らしき者は、昼間屋台の出る場所で The Big Issue という雑誌を売っている。この雑誌は、イギリスでもともと発刊され、ホームレスの人々が自立した生活を送るために創られたものだ。日本にも、その精神と仕組が受け入れられホームレスの人々を自立に導こうとしている。とはいえ、立ちっぱなしでずっと声をかけて売るのは大変だ。しかし、お弟子さんはいつもがんばって売っている。御仁の好ましい影響が伝わっているのだと思う。

この御仁に聞いてはいないが、たぶん老齢年金を受給していないような感じだ。つまり、生涯現役で懸命に働いている境涯なのだ。体力的には大変だと思うが、小さなお得意さんたちにご愛顧いただいて、実に幸せそうに思える。お弟子さんにも、多くのお得意さんがいる。誰しも、人に言えない苦労など、還暦も過ぎればある。昔話に花を咲かせてもきりが無い。時を惜しみ、毎日、汗して仕事に打ち込み生きること。それは、命が光り放って、実に眩しい様子だ。

願わくは花の下にて春死なん その如月の望月のころ

生活

 二月十五日は、西行忌だった。もっとも、旧暦の二月十五日のことだから、新暦に直すと今年は、三月二十六日、つまりはお彼岸も過ぎ桜満開間近となる。

西行の歌が、多くの人に諳んじられるほど、有名あるいは愛されているのかといえば、くどいほど説明調になっているようでも、韻を含んでいて耳に心地よいからではないだろうか。

しかし、事情通からすれば、今から遡ること八百十九年前の旧暦、如月の望月、二月の十五日に、ぴたりと死にたいと願い死んだということである。歌人藤原定家や慈円などからして、驚くほど賞賛をされている。その日が、新暦の春分あたりに当たるのであれば、なるほど桜の下にて死なんは、絵になりそうである。信じがたいが、自殺をするのでもなく、能動的に自然に希望する日に死ぬことができたことが、なんとも凄まじく、ただ感嘆するしかない。

さて、望月のことである。

月は、14日間から15日間で新月から満月になる(太陽の運行を中心とした新暦と月による陰暦では、計算にずれが生じる。)。新月から満月の間に上弦の月があり、満月から新月の間に下弦の月がある。望月とは、月の中日であり、満月の日のことである。日本の神事は、新月と満月。一日と十五日に行われる。瑞穂の国は、太陽と月の力が無ければ成り立たないことを長い稲作の歴史で学んだのだろうか。今年の三月二十六日は、旧暦の二月十日にして満月の一日前である。西行の願い焦がれた思いと真実とが、天文学的にもよく符合する。

 

ところで、二月十五日は、兼好忌でもある。

高等学校では、誰しもが古文の時間に吉田兼好の徒然草を暗唱させられたりしたのではなかろうか。方丈記にしてもしかり、名文というのは実に韻を含んだものであり、人の鼓動や呼吸に相まって心地よく反響するかのごとくで、左脳から発した音でも、右脳に共鳴して記憶の底に鎮まってしまうようである。

名文といえば、今年は源氏物語一千年紀である。

この世界最古の連続恋愛小説なれど、現代訳が無ければ高等学校で習った古文程度の知識では、到底、読破できそうにもない。気負っても、冒頭桐壺の巻で投げ出す人が多いと聞く。桐壺源氏なる呼び名が、古くから定着しているくらいなので、挫折せずに読破するのは容易ではなさそうである。瀬戸内寂聴さんの言を借りれば、紫式部は、恋愛小説の形を借りて、人の生きてゆくうえでのしがらみや対処法を示した優れた著作だという。恋愛小説の形を借りて、生老病死愛哀憎の形を世に広めた功績が大きいと。一向に読む気が起きないが。

たまには早く帰宅して月でも見上げながら人生設計を考えてみてはいかがだろうか。経済に支配されるのではなくて、幸せになるための人生なのだから。

此花のこと~「難波津に咲くやこの花 今を春ベと咲くやこの花」

生活

 大阪に「此花区」という行政区があるが、これはこの歌の「この花」からとった由緒正しき名前である。今上陛下が、平成に入り一時期朝鮮半島への思いを語られたことがあった。そして、「百済」の皇族の血が皇室に流れていることを公式の場で認められる発言を成されたことがあった。この歌の作者王仁(わに)は、百済の帰化人である。この歌は、仁徳天皇の即位を祝って捧げた格調高い伝説の歌ということになる。

さて、「この花」とは何の花だろうか。

日本では、花といえば「桜」であるが、「この花」は「梅」である。

 

「梅」は匂う花である。

「東風ふかば 匂ひおこせよ 梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ」

菅原道真公も不遇の晩年、苦境にあって梅の匂い、慰められたのだろうと想像に難くない。梅の匂いは品格が感じられるたとえにも使われる。御座敷でも、

三味の音にあわせて「梅は匂いよ 人はこころ」と歌われるようだ。

「梅」は中国の国花である。

なぜ、国花に制定したのか分からない。だが、老梅の枝が折れても曲がってもなおも伸びる。苔むすともなおも盛んで匂う生命力を讃えているようにも思える。よく花札にもある梅に鶯。最近になって、よく知られるようになったが、鶯に見間違えたメジロだったという事である。梅が咲き匂うころは、まだ鶯は鳴かないらしい。梅の格調高い匂いが、様々に想像を掻き立てるのかも知れない。

花の女王はといえば、古くから牡丹ということに相場がなっている。

「立てば芍薬(しゃくやく)座れば牡丹」なるほど説得力のある感じである。

敬愛する吉川英治の牡丹を語った名文がある。

先頃頂戴の牡丹の薪にて~宿望の一会を催し申し候。~中略~酌人には牡丹の花と申しても偽りなき赤坂の美妓に候。丹炎誠に美しく、微薫ある煙も、牡丹なる故にや苦になり申さず候。~中略~炉明りのみにて暫時を雑談に忘れ申し候。食後又、炉の自在鉤に湯釜をかけ、牡丹にて沸かしたる湯にて、桔梗の女主人なるが薄茶の手前一ぷく立て候て、これは無数の風流と興じ入り申し候。

中略~洞厳氏曰く、牡丹はむずかし、然も今宵はいける牡丹あり、老筆及ぶ可からずとて止み申し候。誠に御蔭を以って王者の贅も及ばざる名宴仕り候。

贅沢には金が必要かもしれないが、お付き合いを含めて時間の使い方が一番むずかしそうな気がする。ぬるい温泉に長くつかって北国の夜に、月に照らされた雪見牡丹を見ながら無言のうちに、独り酌で静かに過ごしてみたい。

「おたがいさま」ということば。

生活

 梅が咲いた。桃の蕾が大きい。桜が待ち遠しい時節になってきた。

ある著述を生業とする方が、私と同じ郷里である鹿児島に帰省したときの話を

自身の著作に書いていらっしゃったのだが、眼がとまったので披露したい。

氏の郷里は、南さつま市。古くは、鑑真和上が流れ着いたところであり、

小泉純一郎元首相の父君の出身地である。氏は、家族を連れての帰省だった。近年の大河ドラマ「篤姫」人気のこともあり、実家に戻る前に小旅行を思いつき薩摩今和泉に降り立ち、篤姫由来の史跡をめぐったという。

陽も傾いてきたので、薩摩今和泉駅を発ち指宿駅で降りて、家族と砂蒸し温泉に入りろうとタクシー乗り場に向かった。そのときの話である。



氏が、タクシー乗り場で家族と順番を待ち、自分たちの順番になった。

はやる気持ちでタクシーに乗り込んで行き先を告げたら、タクシーの運転手さんに「降りてたもいやんせ(降りてくださいますようにおたのみします)」といわれた。解せない氏は怪訝に思い、「ない(何)ごてですか(どうしてですか)」と聞いた。運転手さんは、「この車は、大型車。あなた方親子三人連れなら小型車で十分。」といって、後ろに控える小型車に追い立てるように乗車させたのだという。

運転手さんの思いがけない親切に感謝しつつも、気を取り直して小型車に乗り行き先を告げた。ところが、このタクシーでも運転手さんに「降りてたもいやんせ」といわれた。解せないと、氏が再び「ないごてですか」と聞くと、宿泊する旅館の送迎バスの時刻表を見ながら、「送迎バスが、まもなく到着しますから、それを利用されたらいかがですか」といわれたということだった。

氏は、タクシーを降りて二人の運転手さんに謝意を示しながら、「お客様を乗せて運ばれることを生業にされているのに、よそにお客さんを譲ってもかまわないのですか?」と聞いたのだという。

すると、二人の運転手さんは、顔を見あわせ「不思議なことをいう人だな」という表情で、「だって、おたがいさまでしょう」とニコニコしながらいったそうである。「おたがいさま」。私たちの使う「おたがいさま」は、「おあいにくさま」や「おあいこでしょう」くらいのニュアンスになっていないだろうか。お互いの立場を慮る「おたがいさま」になっているだろうか。氏とご家族にとって、「だって、おたがいさまでしょう」という言葉が、望郷の思いと重なって忘れがたいものとなった。そして、思い起こすたびに心を暖めてくれるかけがえの無いものとなった。釈尊は、誰にでもできる七つの施しを説いた。人と出会うたびに、あるいは、人と顔を合わせるたびに先様の立場を慮れる言葉を差し上げられる境涯になりたいものである。善の機根は、尽きないと信じたい。

この先の韓国の社会保障制度など

生活

 これまで、わが世の春を謳歌してきたような韓国だったが、世界経済の後退やアベノミクスによる発足後1ヶ月あまりで対ドルで10円程度の円安傾向は、

欧米だけでなく、韓国に大きな衝撃をあたえている。

韓国企業は、精密部品や製造設備を日本から大量に輸入しているので、円安ウォン高は助かるようだが、GDPの軽く50%以上を輸出に頼って稼ぐ韓国にとって、対日本と価格面で競う分野の事業では優位性が小さくなってしまう。

韓国は、外貨獲得の大方を10大財閥によって稼ぐ構造であるが、他方国内産業にも財閥優遇がなされ、中堅以下の事業会社が競争に敗れて追いやられてしまっている。財閥優遇には税制もあげられるのだが、期待する効果として富の再分配が進むどころか、財閥による不正があとを絶たず、多くの国民の不満が爆発寸前である。



さて、韓国も欧米先進国並に、あるいはそれ以上に少子高齢化が進んでいる。

理由の一つには、世界でも苛烈な競争が知られている学歴社会があると思われる。学費以外にも家庭教師や習い事などに対する所得比の支出は世界最高とも言われている。質の良い教育のために少子化傾向は必然的にたどる道である。



日本の少子化問題は、OECD諸国の中でも突出して目立っているが、実は韓国は出生率で日本を2000年に下回っている。日本で社会保障と税制の一体改革が唱えられてきたが、一番の問題は人口縮小が明らかな将来に社会保障費用の世代を超えての負担の存在ということである。



韓国では、近未来に日本よりかなり深刻な事態に陥る可能性があると思われる。たとえば、40歳で早期退職が定着しており、勤続年数の短さから年金の積み立てなどが困難である。年金制度もかなり遅れて設計されており、一番早くつくられた公務員年金が1960年。軍人年金制度が1963年、国民年金制度にいたっては1988年である。

韓国はいわずと知られた儒教国家である。長幼の徳が尊ばれ、老いた親の扶養は子が行って当然のお国柄である。韓国が、”漢江の奇跡”をおこす前のような農業国のままだったら、今もこれからも相もかわらずの親孝行国家でありつづけるのになんらの問題もなかったことだろう。しかし、ソウルへの一極集中は、日本の東京以上であり、物価も購買力平価に置き換えると世界最高の物価高になる。住居費や食費、医療費などの負担感は相当なものである。比較的や安いとされるのは、公共交通機関の交通費程度である。

宿命の隣人韓国の近未来は、日本への影響が大きい。注視が必要である。

A子に学んだ生きる術

生活

この時期、雪が降るとA子のことを思い出す。

A子は、銀行系の人材派遣会社に所属する登録社員だった。A子とは、彼女の所属する会社の上司とボランテイア活動で共にすることが多く、スキルアップをさせたいので相談に乗ってほしいという形で紹介を受けた。

さてその日、A子から電話を貰った。実妹にかんする相談であったが、「解決能力が、あなたには備わっているから案じるな」と電話を切った。A子には、スキルアップのために簿記会計と英文財務諸表づくりの基礎を教えていた。

 

それは、16年前の97年2月13日のことであった。私は、国際協力の公務出張で渡航を明日に控えていた。そこにA子から電話が着たのだ。A子は、母と妹の3人暮らしだった。父は、A子が小学生のときに亡くなっていた。以後、家計を支えるため、妹のB子は小学生からずっと新聞配達をしていた。足が太くなり、ジーンズがはけないと嘆いていた。妙齢の女性には、深刻な問題だったかもしれない。

ある日、妹の進路のことで進学か就職かを親子3人で真剣に相談し、自宅近くの大学を一校だけ受験し合格した。だが、新聞社の奨学生手続きに手違いがあり、締切まで後1時間という時に電話がかかってきたのだった。記憶が鮮明なのは、この日、東京に雪が積もり、交通機関が混乱していた事による。

A子は、私に当該大学に対し、なにか使えるコネはないかと相談してきた。私は、最も辛いことをA子に指示した。この深い雪の中、外出も出来ずに居るだろう理事長宅に直接尋ねてゆけと。彼女は、私の付き添いを請うたが、ひとりで行けと突き放した。普通の頼みではないのだ。理事長宅まで歩いていったA子は、何度も何度も転んで怪我をし、とけた雪や道路の泥で汚れ、さらに雪まみれになったのだった。私は、辛い気持ちでいた。実は、A子は足が不自由だったのだ。普通の道なら歩行もできただろうが、雪の積もった道は、歩行困難で数歩進んでは転んだことかもしれない。

 

小学校のときに、亡くなった父の死因は自殺だった。それも第一発見者がA子。トラウマがときに襲い掛かり、つらいことが起きると、消極的な生き方を選んでしまう。経験や知識が不十分で、世知辛い社会を生きることに自信がないことや身体的なことがハンデイとなって、人材派遣の仕事も、心優しい努力家のA子は派遣先から直ぐに断られてしまうことを繰り返していた。私は、僭越ながらA子に能力資質が備わったとしても、このままでは、満たされない思いや達成感のない年月を焼き場までもってゆく事になるだろうと危惧した。

 

それだからこそ、雪のつもるさなか、辛くとも歩いて出かけ「三人がどんな思いで今日まで生きてきたか。そして、どんな覚悟で生きてゆくのかそれを理事長にぶつけろ」と、そして「相手に一歩も引かない気持ちでぶつかれ」と

言い放った。A子は、「できない、できない私にはできない」と受話器の向こうで泣きじゃくったが、心を鬼にして突き放した。A子が、当該大学の理事長に

思いを言葉にしてぶつけるのは厳しい事だったろうと今も思う。

 

私は、言いすぎたのではないかとか、ほかに解決方法があったのではと、繰り返し考えていた。

A子からその日の夕方、報告の電話がきた。

尋ねていったら理事長が、泥まみれのA子を見て、あわてて家に上げてくれ

たこと。そして、事情を聞いてくれたこと。さらに、これまでの生きてきた家族三人の思いをぶつけたら、言葉に成らなくなり言いたい事がいえなかったこと。自分の貯金通帳と印鑑を差し出して、これでB子を入学させてくださいと、お願いしたが受け取ってもらえなかったとのこと。

 

私は、思う。もし、自分が大学の関係者なら、B子に支度金を払ってでも迎えたい。同情からではない。

小学校から高校まで新聞配達をして、家計を支えた子ども。

まず、素行は模範となるような子に違い無い。そして、その子が家計を慮り

一校を受験したが選ばれたのは、自ら関係する大学、しかも合格しているのだ。

 

果たして、B子の入学は手続きの問題はあったが問題なく許された。

4年後、B子は卒業生総代となった。新聞配達は4年間一日も欠かさずやり通した。A子は、今も母親と穏やかに暮らしている。16年前のA子から相談の電話には、困難から逃げない気構えと懸命に生きる覚悟があるなら、また解決できると学んだ。それこそが術(すべ)であろう。

 

文字の鑿を自分の胸にあてて

生活

 過日、城山三郎氏の著書を紹介した。私は若き日、多くの城山作品を読めたことをつくづく幸せに思っている。その人にとって、かけがえの無い著書というものが夫々あると思うが、私にとって、読んだ城山作品全てがそのように思えてならない。

あなたは、著書名を見ただけで胸がいっぱいになるような愛読書があるだろうか。あると言えるなら、それは人生を豊かにしてくれる財に違いない。私は、十代で城山作品に出会った。最初に読んだのは、「男児の本懐」。宰相「浜口雄幸」と大蔵卿「井上準之助」が、暗殺をされることを覚悟で金解禁に踏み切る。彼らの信念、そして暴力に斃れた彼らの思い、当時の国内外や後世の評価、その記述を幾度も幾度も読んだ。十代の自分は、城山三郎氏の文字の鑿で、いくつもの大切な言葉の意味や人生をかけて取り組む仕事の意味を胸に刻みつけることが叶ったのだ。

最初の読後感は、浜口と井上の生き様に打ちのめされ、こみ上げるものがあり、嗚咽とともに熱ものがほとばしり出た。今世で一番涙が出たかも知れない。高等学校の日本史では、とおりいっぺんの史実しか教えない。ましては、アジア諸国への外交上の遠慮があるからなのか、戦争の遠因や軍部の独走についての十分な記述が教科書にはほとんど無い。昭和初期から五一五事件、二二六事件、時代の空気や人々の暮らしの様子を城山作品から知ることができたことは幸いだった。今でも、書店で「男児の本懐」の文字を見つけると十代のときと同じように胸に熱いものがこみあげてくる。

さて、「著書名」を見つけると、思わず涙目になってしまう城山作品がある、「落日燃ゆ」である。外交官から外務大臣、総理大臣と出世する中、徹底して軍部の独走に抵抗し、戦争に反対し続けた広田弘毅を描いた作品である。作品中、「自らは、計らわず」という論語の教えにのっとり、一切の弁護も受けず、元気に死んでゆくために、淡々と体を獄中で鍛える広田の生き方には、今でも圧倒される。東京裁判後、判事たちでさえ「なぜ」、広田が死刑になったのかわからないというような始末だった。戦勝者が、敗戦者を一方的に裁くということが許されるのかと今でも腹立たしい。

夫人は、広田の心中を慮り自刀する。広田は、先に逝ってしまった妻に最後の日まで、淡々と愛情豊かな文を書き送る。遺言をと問われても、淡々と健やかに逝ったと伝えてほしいと。前後の事情が少し変われば、英国大使や外務大臣、総理大臣を広田弘毅と同じように歴任した吉田茂首相がそのような目にあっていたかも知れない。歴史に、「もし」を考えてみることは詮無いことだろうか。教育制度では、日本近代史を体系的に学ぶ教育機会に恵まれない。だからこそ、自ら意識して研讃を積み、さらに求めて学ぶ必要がある。

信念とともに若く、自信とともに若く

生活

 先にサミュエル・ウルマンの「青春」の前半部分を紹介した、思いのほか喜んでいただいたようだ。読者それぞれに自らをふり返り、思うところが多い人もおいでなのだろう。今回は、「青春」の後半を紹介したいと思う。

 

Whether seventy or sixteen. There is in every being,s heart love of wonder.

The sweat amazement at the starts and the starlike things and thoughts. The undaunted challenge of events. The unfilling childlike appettit for what

next ,and the joy the game of life.

年は七十であろうと、十六であろうと、その胸に抱き得るものは何か。曰く、

「驚異への愛慕心」空にきらめく星晨、その輝きにも似たる事物や思想に対する欽迎、事に処する剛毅な挑戦。小児の如くに求めてやまぬ探究心、人生への

歓喜と興味。

You are as young as your faith ,as old as your doubt:as young as your self –

Confidence .as old as your fear ,as your as your hope, as old as your despair .

人は、信念とともに若く、疑惑とともに老ゆる。人は、自身とともに若く、

恐怖とともに老ゆる。希望ある限り若く、失望とともに老い朽ちる。

So long as your heart receives message of beauty ,cheer, courage, grandeur and  power from the earth ,from man from the infinite so long as you are young.

大地より、神より、人より、美と喜悦、勇気と壮大偉力との霊感を受ける限り

人の若さは失われない。

When the wires are all down and all the place of  your heart is covered with the snows of pessimism and the ice of cynicism, then  you are grown old indeed and may God have mercy on your soul.

これらの霊感が絶え、悲嘆の白雪が人の心の奥までも蔽いつくし、皮肉の厚氷

がこれを固く閉ざすに至れば、この時にこそ人は全く老いて神の憐みを乞うる他はなくなる。

 

幾度となく読み返せる愛読書を持つ人は幸いである。同様に、体の芯が熱くなるような思い入れのある詩や箴言、経本も心の支えとなろう。知識経験に加え、技能技術は一度身につけると、その人の血肉や骨になる。しかし、心はどうだろう。油断をすると雑草が、すぐに生えてしまう。雑草も背が高くなるほどに放っておくと、自分を見失い、心に振り回されてしまう。それだけに、

一生涯、心の雑草を取り続けるような暮らしが人の基本であろう。時には、雑草に養分を取られた心に、ビタミン・ミネラルのような糧を鋤込むことが

必要である。実り多き人生にするため、活字も深くしっかりと鋤き込まねば。

 

« 古い記事 新しい記事 »