3月2013

とっておきの話

生活

 東京新聞(中日新聞系列)に「筆洗」というコラムがある。水墨画を趣味としていることもあるが、洒脱なタイトルが気に入っている。また、市井の良質な話を拾い上げてくれるところもあり、努めて読むようにしている。

さて、4年前の今時分の話で恐縮なのだが、感じ入って切り抜いていた話。それは、ある中高年の女性が、電車の中で見かけた若い男性の話であった。その女性は、込み合う電車の中でお掛けいただくべき人を見かけ、気の毒に思い、目の前に座っていた若い男性に席を「お譲りいただくように」促したという。若い男性は、驚いて上気した顔で席を立ち、席を譲ってくれたという。若い男性は、座って狸寝入りをしていたわけでも漫画を読んでいたわけでもない。一心不乱に、書籍に集中していた真面目そうな青年だった。女性が、「ありがとうございました」と申し上げたところ、「いえ、気づかせていただきましてありがとうございました。教えていただかなければ、気づきませんでした」といわれたという。女性は、青年の言動ですがすがしい気持ちになったと投稿してきたということだった。ありそうでなさそうな気持ちの良い話である。



続いて同じく4年前の春、インド旅行で困ったことになったある女性が助けられたときの話が「とっておきの話」として掲載されていた。六十代の女性が、旅の途中、立ち寄ったデリーの空港。現地で暮らす友人と待ち合わせをしたのに姿が見当たらない。電話をかけようと公衆電話を探すが見当たらない。どうしようかと悩んだが、思い切って空港の若い職員に公衆電話の場所を尋ねると、無料で自分の携帯電話を貸してくれたという。しかし、友人には通じず、仕方なく空港内で本を読み時間をつぶした。約30分後、登場したのが「とっておきのすてきな人」である。「もしかしたら、電話が必要なのではありませんか。よかったら、使ってください」と携帯電話を差し出してきた。

つまり、若い職員から携帯電話を借りるところを見ていたらしい。今度は、友人とうまく連絡が取れて、友人とも久しぶりに会えた上に観光も楽しめたという。「すてきな人」は、誰かを迎えに来ていた様子だったという。

「電話代を」というと、黙って背を向けたという。困っている様子の人に、思いやりをもって声をかけることは、誰にでもできることではない。「旅は情け、人は心」。旅は、日常を離れるすばらしい体験である。他方、どんなに準備をしていてもトラブルを回避できないことは多い。旅行経験の多い人は、本人や同行者の急病や事件事故に巻き込まれた経験も多い人のはずである。

可能な限り、いつでも人を助けられるような心構えで旅行を大いに楽しみたいものだ。遠出も多い時節。困った人を見かけたら、躊躇なく、相手の気持ちに負担をかけずに助けられる「すてきな人」でありたいものである。

中国の電気自動車市場は拡大するか

生活

先に中国の自動車産業についてふれた。その時、海外の投資家からも注目を浴びてきた比亜迪(以下BYD)社についてもふれた。

もともと、電池メーカーだったBYD社は、当初自動車業界には、ガソリン車製造から参入したが、折からの世界的なエコカーブームに乗って、満を持して電気自動車製造にかかった。一時期は、かなり自動車需要にブームを起こしたが、直近の統計ではBYD車がおこした自動車火災事故が電池に問題があったような報道がされ、市場から敬遠されたせいか目標どおりに20万台程度しか販売できていない。2012年の中国市場における自動車の販売台数は、1,931万台といわれるから電気自動車自体の市場性を語れる状況にはないように思われる。

他方、中国政府は、2020年に電気自動車の製造体制を200万台にすると目標を掲げた。これに対し、日本国内においてカーオブザイヤー受賞で注目を浴びた自動車を市場に送り込んだルノー日産グループのCEOカルロス・ゴーン氏は、大いに歓迎の意向を発表したが、具体的な数字を掲げることは無かった。環境問題に厳しい欧州にあっても、電気自動車の普及に弾みがつかない。

米国にあっては、シュールガスの開発もあり、電気自動車への需要は大きくなりそうにもない。エコカー自体を意味するものは、プラグインハイブリッド車のことであって、電気自動車のイメージとはなりそうにない。

翻って日本市場でも、電気自動車で本格的に生産体制を築けるのは、日産そして三菱くらいのものであって、他社はプラグインハイブリッド車に傾注している。



話を中国自動車市場に戻したい。

結局、中国以外では電気自動車の需要は大きくなりそうにないのだが、中国自体は、PM2.5の大気汚染問題が深刻化する中、電気自動車の普及は効果的な対策になると思われるが、自動車販売台数の80%が乗用車で占められており、ここ3年間は、販売台数が一桁台に落ちてきている。商用車に様々な制限を設けたり、経済的な負担をさせても転嫁させる方法はあるが、乗用車の特に個人所有者への環境税賦課強化などは、かなり大きな社会的な不満を引き起こす可能性があると思われる。

国外への外貨獲得目的の輸出ではなく、国内環境対策のための電気自動車普及ということになれば、中国版ガラパゴス商品となるのであろうか。国内メーカーよりも外国有名ブランド車が人気の中国にとって、仮の話だが、外国自動車メーカーが電気自動車への製造を義務付けられても旨味があるだろうか、はたまた迷惑な話だろうか。猶予が許されない環境問題とどう折りをつけるのか。

おふくろの味で新しい東京オリンピック

生活

 戦時中の話である。五木寛之氏の「大河の一滴」の中に、シベリア帰りの先輩の話として以下のくだりがある。「冬の夜に、さあっと無数のシラミが自分の体に這い寄ってくるのを感じると、思わず心が弾んだものだった。それは、隣に寝ている仲間が冷たくなってきた証拠だからね。シラミは、人が死にかけると、体温のあるほうへ一斉に移動するんだ。あすの朝はこの仲間の着ているものをいただけるな、とシラミたちを歓迎する気持ちになったものだ。」(隣に寝ているものが死んだら、下着や靴下まで分けてもらえる決まりがあった。)



戦場は、つくづく陰惨悲惨な場所でしかない。

このような場所に、帝国ホテルの名シェフ村上信夫氏は、フライパンと牛刀を持ち込んで転戦した。もともと村上氏は、神田の洋食屋の倅として生まれたが、尋常小学校5年のときに両親を結核でなくし、門前の小僧には違いなかったが、幼くして天涯孤独の身になり料理人を志したという。

戦場を転戦する中で、エピソードがある。中国で現地調達した鶏をさばいて腕を振るってカレーを作った。敵陣まで届きそうな匂いに少佐が、「こんなところでカレーをつくった奴は死刑だ」と軍刀を抜いた。氏が目を閉じると、耳元で少佐が「後でおれにも食わせろ」と。

シベリアでは、抑留生活中に「死ぬ前にパイナップルを食べたい」という瀕死の傷病兵がいた。氏は、願いをかなえてやりたかったが手に入るわけもない。そこで、痛みかけたリンゴを輪切りし、ギザギザの切り目を入れ砂糖で煮た。缶詰のパイナップルに似たものが出来上がった。後年、男が氏に駆け寄り、「あんたにもらったパイナップルを食べて、生きていればこんなにうまいものが食べられるんだと勇気がわいた」といわれたという。



村上氏は、「料理はお母さんの気持ちでつくりなさい」と繰り返し説いていたそうである。村上氏は生い立ちにあるように、十分におふくろの味を堪能できたはずもなく、本来は師匠になるべきだった料理人の父君とも早く死に別れた。

村上氏の料理は、名だたるホテルの看板として煌びやかで華麗な印象があるが、戦場で磨いた思いや願いが「お母さんの気持ち」につながるのだろうと思う。事実、料理を求める人に寄り添うような態度や母性豊かな精神性が滲んで見える。氏は、私生活で干物と漬物と味噌汁があれば十分という人だったという。普通のお父さんを地で行く人だったわけである。1964年の東京オリンピックの時、氏が選手村の料理や宴会料理の一切を引き受けて重責を担い、日本の面子を守ったと聞いた。新しい形の東京オリンピック招致、今年が本番である。「お母さんの気持ち」で臨めれば、きっとよい結果が生まれることだろう。

太平洋における中国のプレゼンス

生活

 近年、太平洋における中国の存在感が驚異的に増している。

中国の「大陸海洋国家」戦略に基づく施策が功をなしているからに違いないが、国土は狭くとも「世界に冠たる領海を持つ国家である日本」にとっても、大きく利害がぶつかり合うことも愁眉の事案になることだろう。

他方、豪州などにすれば、中国系住民(韓国系住民も急増している)の増加に伴い、欧米系住民とのトラブルが、豪州国内で深刻化し、近年悩ましい問題に発展しており、さらに、安全保障上も「豪州の裏庭」と呼ばれる南太平洋島嶼国への中国の経済支援や軍港租借問題が豪州連邦政府や国民の神経を逆撫でしている。

小職は、2011年3月11日直前まで、東北の漁港などで古くなって燃費が悪くなった漁船の廃船処分に代わって、民間レベルの国際貢献・国際協力として、太平洋島嶼国の漁民に無償贈与する計画の策定の相談を受けていた。

3.11東日本大震災発生後は、対外支援どころではなくなり、話が無期延期のようなこととなってしまったが、ミクロネシア連邦やソロモン諸島などの

漁民の意向を調査する過程で、中国の経済支援や経済進出のすさまじい勢いを知るところとなり、正直、かなり驚いたものだった。

 

例えば、観光開発と称し、中国の観光業者が進出し、立派なホテルを作り

民間の利用がなくとも、海軍や外務経済関係官僚などの利用が進み、現地で

かなり歓迎されている。

中国が、稼いだ外貨(主として米ドル)を太平洋諸国で落としてもらえれば、

産業基盤が弱く、現金収入の少ない国民の多い島嶼国政府には喜ばれることは明らかである。

また、中国は港の利用に伴う契約を当事国と行い、大型船の寄港を理由に大掛かりな港湾工事を行い、現地人の雇用を行い、さらには実際に軍艦の寄港によって、外貨を落とすなどのことを積極的に行っている。

平時は、軍艦といっても無彩色の外国籍観光船のようなものであり、多額の外貨を寄港のたびに落としてくれるありがたい存在である。

さて、ミャンマーの民主化に伴い、米国や日本の当該国進出が盛んになってきたが、中国の石油などの資源輸送については再考も必要なようである。マラッカ海峡のシーレーン確保に中国も熱を入れているが、マレーシアと接する海上にはインド領の島嶼が存在する。米国のインド、日本、豪州の三角安全保障による対アジア戦略と中国の太平洋でのプレゼンスが大きくぶつかりあっている。アジア重視政策を名言するオバマ政権の米国に対し、中国の対アジア太平洋戦略は、どのような深化を遂げ、また展開を見せることだろうか?

李克強総理の前に立ちはだかるもの

生活

全国人民代表者会議(全人代)が、ようやく閉幕となった。

中国に赴任していたときの3月のイメージに、じつにこの長い(全人代)会議と国際婦人デーの印象が強く残っている。

今回の全人代で印象に残るものは、環境関連議案に有効投票数の2割を超える否決があったことである。否決に票を投じた代表らは、農民やいわば社会の

底辺にあって、経済発展に伴って報われていないという不満を持つ層である。

全人代で、この層の代表は全体の14%程度を占めるということである。

多くは、商工業や不動産開発など多くの既得権益で富を増殖させてきた層の代表である。もし、人口に比して、代表者を頭割りして選出したら、先に議決した8:2の比率が、全く反対になりかねないことだろう。

現実的には、それは近未来には起こりえないことかも知れないが、為政者は今後は、よくよく社会の不満分子のことに気配りすることだろう。

 

さて、李克強総理が全人代後の記者会見で、覚悟と方針を語っているのでふれておきたい。李総理は、特に取り組むべき問題として、「腐敗」、「環境問題」、

「所得格差」を取り上げている。この三つの問題は、実に複雑に絡みあっていて解決は容易ではあるまい。たとえば、「地方の高級官吏が権力に任せ、農民から農地を奪い、不動産開発に当たっては、大きな負担を伴う環境対策を行わず、不動産プロモーターのような役割を駆使して巨万の富を得る」といったような具合である。

かつての時代に、中国共産党が農民戸籍と都市戸籍をも設けたのは、過去に食料増産の失敗や飢饉などから多くの餓死者を出してしまったという忸怩たる反省に立ってのことだと理解している。

農民をいたずらに差別するのではなく、農民に国家を支えてもらうがための方策だったはずである。しかし現状では、農民を第二公民化し、窮地に追い込んでいるようにも思える。農民が、都市戸籍を得るには大学を出て、ハードルの高い考査をクリアしてゆかねばならない。越えるに越えられない絶望の壁である。そのような境涯におかれた農民らの土地を取り上げ、巨万の富を得ようとする官吏が多く存在するのだが、公務に身を置いているとはいえまい。

ところで、このような既得権益の横暴は許されないと、李総理は思い切って踏み込んで改革して見せると言い切っている。共産党の高級官吏自体が社会にあって特別な階層にある。国務院総理をはじめ、閣僚の出身母体と同じといえなくもない。そこに斬り込むというのだが、容易でないことは明らかである。

改革をしなければ、体制が持たないという自覚もあろう。前門の虎、後門の

狼のようであるが、救いがあるのは、李総理の深い認識と覚悟の言葉である。

海洋大陸国家になりうるのか、中国は

生活

 全国人民代表会議も終わり、政治的な手続きは粛々と進められ、習近平

体制が本格的な政策を打ち出してくることが明らかである。

 

日本にとっても、あるいは中国にとっても、経済活動においては最高レベルの互恵関係を築くことに依存はあるまい。問題は、尖閣諸島の日本国国有化以来、領土問題というより本質は海洋権益をめぐる利害の衝突が、本格化する予想が立っていることと、さらにそれが、かなり長期化する予想が立っていることである。

 

習主席は、ことあるごとに清朝時代の欧米列強に抑圧されていた時代を屈辱として、人民の記憶によみがえらせるような発言を繰り返し、あるいは若い世代には新たに刷り込みをおこなっている。

立場を置き換えて考えると、屈辱的なこととする気持ちはよく理解できる。

さらに忌まわしい記憶として、本来は思い返したくも無いことだろうと察せられる。

 

だが、近代の中国は、日本より近代化した軍艦を先んじて造船し、北洋艦隊を誇りはしたが、自らを「大陸国家」と位置づけ、そして名乗っていた国家であった。改革開放経済が、花開く1980年代以降、計画的な経済成長が達せられるごとに、近代的な社会システムが構築され、人々の自意識が変化する節目を迎えるごとに中国は、「海洋大陸国家」を名乗り、「大陸国家」の看板は捨て去ってしまった。

 

このたびの全国人民大会議で、中国の海洋保安の権限強化と予算の大幅増加が明らかなようである、と同時に、人民解放軍の海軍予算も大幅な増加が確実視されている。周辺国の警戒感が高まらないようにという配慮から、外国メデイアへの公表は避けられているとされているが、これまでの事情に鑑みて、周辺国の緊張感はいやおうなしに高まってきている。

 

中国は、自由貿易協定の推進上、アセアン諸国との関係強化と中日韓三ヶ国にアジア周辺諸国を交えた経済圏を構築を目指していると思われる。

対日政策で唱えられてきた政冷経熱が、日本ならびにアジアの周辺諸国に通じるとも思えないが、様々な障害を力で押し切ってまでも「海洋大陸国家」を実現してゆこうとするのか、気になるところである。中南海や一部中央官僚の

思いだけで押し切れるものでもなかろうと思うのだが、いかがだろうか。

甍の波の向こう側

生活

  日中間の解決困難な問題や文化的な深いかかわりあいを思うたびに連想す る著作がある。井上靖の「天平の甍」である。もともと、かの人の天竺への旅は、禁を犯してまでのものだった。旅は、すべてにおいて艱難辛苦の連続であり、地上の果てから、現世に多くの経典とともに西安に戻りついたともいえる。僧の名は、玄奘。西遊記では西蔵法師、つまりはチベット法師という意味である。日本仏教界において、玄奘は絶対的恩人である。

私は、国際協力の仕事で国から西安のある陝西省に派遣されていた時期があった。陝西省の人民政府と打ち合わせるたびに、隋や唐の時代に日本から上海近くの浙江省寧波に流れ着き、そこからさらに当時の長安(西安)に歩いて辿りついた学僧や役人らのことを偲んだ。学僧、とくに空海は、玄奘が伝えた業績を学び、また多くの価値ある仏典と訳本を持ち帰り、宗教界だけでなく日本の恩人となった。西安に辿り着くだけでも偉業だが、業績を中国で積み重ね、さらに日本へ持ち帰った。驚愕すべき事実である。

 

さて、大雑把で恐縮だが西安の位置は、上海と北京を正三角形の一辺と見立てると上海、北京からの同等の長さの辺の延長線上にあると想像していただきたい。中国は、岩山だらけで険しく日本のように水が豊富でなく、また食料調達も容易ではなかったはずである。信仰上の確信や学僧としての使命感が、あったとしても踏破は健全な肉体精神を持ってしても厳しかったはずである。

ところで、隋や唐の時代、大陸に渡ろうとして海の藻屑となったものの数は夥しい。遠くベトナムあたりまで幾度も流され、時代や自らの運命に翻弄されたものもいる。中には、玄奘の示した体系的な仏教を幾十星霜学び、教典を書き写し、あるいは翻訳し、日本へ持ち帰ろうとして海の藻屑と消えた学僧等がいる。彼らの持ち帰ろうとした経典や訳本は、ついに帰りつくことはなかった。が、彼らの成そうとしたことは、これまでの日本の社会や風土に溶け込んできていたはずである。人に血脈があって、親子兄弟を自らの命の別称と呼ぶことができる。仏法にも同じく血脈があって、命と同じく受け継がれてきたものがある。血脈の道を通って、伝わったものは枚挙に暇がない。天台仏教の伝来を始め、大陸との命がけの往来がもたらした恩恵ははかり知れない。

 

シルクロードは、人類の歩みそのものの道でもある。貴重な宝物や親書を届けることに命を懸けた人々が、命を削りながら切り開いた道である。多くの真実が通った道である。そこを私たちは、意図も簡単に機上の人となって超えてしまう。私たちは、命がけで開いた道のことを思い出さねばならない。晴れた日、遠く天平の人々の思いや願いに思いを馳せながら、青空を仰ぎたいものだ。

さくら、サクラ、桜、花は桜木

生活



季節の花々が、広い空の下で広げる絵暦も、今年も確かな彩りを堪能させて

くれだろうが、今年は桜の開花が例年より、かなり早まるとの予想。花見の場所と取りと空模様とのにらめっこで気をもむ御仁も多いことだろうか。

敷島を薄紅色に染めて北に上ってゆく桜は、今年も無事に主役を勤め上げてくれそうだが、被災地の人々を一時でも慰めてくれればよいがと願うばかり。過日、「桃李おのずから下蹊を成す」のコラムで、欧米人や中国人は、桜といえば、花のことではなくチェリーの事が頭にあり、「花より実」を、「見るより食べる」を大事に思う感性は日本人には理解し難いと書いた。

桜の散り際を美しいと思う日本人を、短い開花期のために何をそんなに力むのかと不思議がる欧米人や中国人も多いことだろうか。

 

花の雲 鐘は上野か 浅草か(芭蕉)

山寺の 宝見るや 花の雨(虚子)

大仏 膝うづむらん 花の雪(其角)

花散るや 伽藍の 枢落としゆく(凡兆)

花に舞はで 帰るさにくし 白拍子(蕪村)

 

断然、花は桜木であって、遺されている秀逸な句や歌が多く、枚挙に暇がないとは実感である。校章や社章に桜をあしらうことも多い。桜は、花というより日本人の最も愛する心象風景のことではないだろうか。そして、桜は歓喜に沸くばかりのものでもない。   散る桜 後に咲くのも 散る桜

 

早く散らせる必要性があったのかと、いつも故郷の春の空を眺めて思うことがあった。薩摩半島南部は、一月下旬から二月ともなれば菜の花が地上を黄色く染め上げる。そして、間もなく桜の時節となる。南には、美しい薩摩富士と形容されるコニーデの開聞岳が美しい稜線を描いて鎮座している。若者達は、

飛び立つと名残惜しそうに旋回し、墓標を求めて雲の彼方に向かった。

せめて、桜の時節には彼らの願いに思いをめぐらせたいと思ってきた。

知人に優れたベテランの看護師さんがいる。

一昨年、死の床について、体が徐々に弱る患者さんに願いを聞いたという。

「せめて、桜の季節、春爛漫の空の下、逝きたい」とのこと。それから、家族や医師、看護婦さんが励まし、励まし、ついに桜の時節の入り口でその患者さんが逝かれたと聞いた。「三分先で、まだまだだと思っていたのですが」と看護師さん。患者さんが満足そうに笑みを浮かべて逝かれたと聞いた。

桜花の波は、今年も北路を辿る。晴れた風の強い日には、桜吹雪が美しい。

愛想良し

生活

 陽気が、よくなってきた。蕪村の「のたりのたりかな」の感慨は、すこしばかり遠のいたことだろうか。青空が広がる汗ばむような日には、叢の上に寝転がって空を仰ぎたいような気分になる。

そうなると荒川の土手、矢切の渡し、寅さん、渥見清さんと連想されてくる。

寅さんの当たり役で有名になった渥見清さんだったが、やはり下積みの経験がある。渥見さんの場合は、浅草のストリップ劇場で修行をしていたらしい。本来の目当てと違う殿方を相手に、笑いをとろうというのだから生存の厳しい世界に違いない。

その頃の渥見清さんを取り巻くエピソードが伝えられている。

ある日、踊り子のお姉さんが、役者希望という渥見さんを不憫に思い、厳しいことをいってきかせたという話。お姉さん曰く、「ねえ、坊や。役者っていうのはね、眼がね、眼が命なのよ。わかった?わかったら、とっととあきらめて商売替えしなくちゃね。」と。



渥見さんは、心配してくれる踊り子のお姉さんの言を真正面から受け止めて、自室の鏡で自分の顔をしげしげと見たという。「すこしばかり目は細いけれど、なかなか、愛想の良い顔をしてるじゃないか。」と自信を持ったのだという。

結局、気持ちの持ちようで人生は開けてくるものなのかも知れない。

開いてるのか、閉じているのかどうかわからないような 細い目。そんな目が、大きな四角い顔にふたつ。これをなかなか愛想があるとは、ナルシストでもなかなか思うまい。「愛想良し」と思えるところが、やはり渥見清、只者ではない。



ところで、寅さん映画で、大好きなキャラクターに笠智衆さん演じる御前様がある。朴訥とした言いや軽妙な振る舞いなど、余人を持ってかえがたいキャラクターである。

さて、ストリップつながりで恐縮だが、こんな話を漏れ聞いている。

日本初の本格的長編カラー劇映画「カルメン故郷に帰る」は、東京・浅草のスリッパーが故郷の村に帰って混乱を巻き起こすコメデイー だ。「わしが自分で裸で踊るより恥ずかしい」。娘が村でストリップをやると聞いて泣く父親に、

笠智衆演じる小学校の校長先生がいう「恥ずかしいということは人間だけが知っていることだ。尊いことだ。尊いことだよ」と。人間至るところに青山あり。

反転攻勢が、すべてをかなぐり捨てて裸になる気概で生まれることがある。いつでも裸になれるという人には、芯がしっかりしているような強さがある。それに、私たちは誰もが裸で生まれてきたのだ。最期は、裸で還ってゆくものだとおもえば 気持ちも軽くて良い。最期の最期まで、自分らしく生きよう。

津の国の鼓の滝を打ち見れば、岸辺に咲けるたんぽぽの花

生活

 西行の歌である。

たんぽぽは、蒲公英と漢字で書く。漢字の出辞から言えば、種子の冠毛が丸く集まった様子が、「たんぽ」~綿を丸めて布などで包んだもの~に似ているから「たんぽ穂」と名づけられ、漢名の蒲公英にあてて読むようになったという。

しかし、西行の歌を見る限り、別名のつつみ草。つまり、蕾が鼓の形に似ているからという説を支持したくなる。「津の国の鼓の滝」たんぽぽの蕾が、鼓の形に似ているからこそ成り立つ歌である。鼓草と呼ばれるがゆえに、その音に似せて、~たんぽん、たんぽん、たんぽぽ、たんぽぽ、~「たんぽぽ」と呼ばれるようになったという説である。



はじめ、西行は「津の国の滝に来てみれば~」と歌ったという説がある。

草刈人夫に見間違った土地の子どもが、「来て見れば」を「打ち見れば」と訂正したらしい。今でいえば、大学の国文科の教授に、国語好きの少年が「ダメ出し」をしたようなものである。西行こそいい迷惑だっただろうが、逸話の通りだとしたら、草刈人夫に見えたからこそ、良い歌の完成を見たといえよう。



さて、話を転じる。

蒲公英は、菊科の草花である。匂いは、比較的強く独特である。

他の菊科の草花と同じように薬効に優れている。したがって、民間療法から古く使われて、煎じて利尿剤として用いられてきた。



英語名では、ダンデライオンである。ユーミンの古い歌にも登場している。

語源は、フランスのDent de Lion 。ギザギザの葉がライオンの歯を連想させるからだと言われている。親しみさといい、どこにでもある春の草花という事であろう。花や蕾、そして葉を遠き縁より人が、面白く感じでいた証拠に他ならない。

春の土手で、たんぽぽを見つけ、「綿のようなたんぽ」を吹いて遊ぶと耳の穴に入ると聞こえなくなるとよく叱られた。経験則でいわれた事だろうが、身近にあって、それだけ愛されてきた草花に違いない。そんなたんぽぽ、昨今、土手や道端で見かけることもない。かといって、春の花屋の店先で見つけることもない。既に、観念の世界で春に咲く草花になりつつあるのだろうか。

食料自給率が、先進国で最も低く。必ず起きるだろうやがての食糧危機。そこに至っては、日本の安全保障体制こそ問題なのだが、今も減反政策一辺倒。たんぽぽが、田んぼのあぜ道に普通に見られるようになること、そんな原風景を取り戻せることこそが、日本の平和と安寧につながるように思えてならない。

« 古い記事