3月2013

中国の環境対策は、効果をあげるのはかなり困難か

生活

 春節前後から、北京の大気汚染が注目を浴びているが、ここに来てかなり多数の都市での大気、土壌、水質汚染が広がっていることが明らかになってきた。

小職は、1980年代後半から2000年まで、日本国による政府開発援助(ODA)の無償援助分野で、中国に派遣されてきた経験がある。1990年代後半には、無償援助で環境技術供与の申し入れも多かったのだが、実現にはなかなか至らなかった。小職は、特に国有企業の民間企業化や軍事産業の民政化の分野で派遣されてきたのだが、当事から環境問題を危惧する声は、中国側に無かったわけではなかった。しかし、実効性の問題で行政上の問題も大きかった。

たとえば、汚水汚泥の垂れ流し問題などは広範囲で確認されていたが、経済優先の事情に押し切られて、専門家の指摘はほとんど無視されていたも同然だった。中国では、仮に公害問題が起きた場合でも、国有企業の代表者が行政側の要職にある場合が多く、また民間企業の場合も業界団体の要職者が、共産党

の幹部であることなどが多い。

利害調整の困難さに加え、関係当局に訴え出れば、中国人が命と金と同じくらいに大事にしている面子をつぶしかねないという事情がある。

仮にものわかりの良い為政者にめぐりあったとしても、実効性があがることは別な困難さもある。人民には、直接、自らに関係ないことは我関せずの意識の壁がある。さらに、実効性のある対策のためには、慣れ親しんだ行動習慣や志向習慣を律するということがある。

 

もともと中国は、大農業国である。今でも表面上の統計では、人口の8割がたが農民戸籍ではないだろうか?。農家では、生塵を戸外に撒いて、鶏などの餌にしてきた。農家のトイレでは豚が飼われ、永い間人糞を餌にしてきた事情もある。大都市でも、室内にトイレがなく、尿瓶や壷にためて捨てていた事情がある。下水道の整備など、ごくごく最近のことである。先進国とて、下水道の整備などもごく最近のことだと認識すべきである。

 

本来、有害な物質ひとつをとっても、分別し、回収することは困難なこと

である。ましてや、培われた行動や思考の習慣に歴史が無い場合、相当な困難が生じて当然である。日本の自治体ごとの清掃車が回収する分別の細分化は、非常に面倒なことではあるが、資源小国の日本人のほとんどがそれに順応できている。あるいは、高度経済成長時代の公害病という大きな負の遺産からの学習効果が大きいのだろうか。ODAでは、もはや途上国といえない中国に、技術供与することに異論を唱える国民は少ないだろう。環境外交に期待したい。