3月2013

純粋な関心を持つということ

生活

 先日、上野の東京国立博物館、いわゆるトーハクに王義之展を見に行った。

書の愛好家人口が多いこともあろうが大盛況であった。王義之は、唐の太宗皇帝がその書を愛され、唐代の名だたる書家に臨書を行わせて、書体を後世に伝えることまで行った。いや、行うことをせざるをえないような気持ちにさせた観る人が、観れば一瞥すればわかる書聖というにふさわしい天下の奇才だったのだろう。

 

ところで昨年は、日中国交正常化40周年の慶賀にあたり、日本でも中国国内で展示されたことのない宝物が展示される企画展が続き、多くの美術ファンを喜ばせた。

 

野田政権時代の尖閣諸島国有化以来、日中国交正常化40周年記念行事がことごとく延期(実質中止)に追い込まれ、中国側からすれば、反日行動の多くの明確な理由づけにされてきた。

 

ただメデイアに写る限りは、中国全土が怒って日本に対峙しているかの印象を与えてはいたが、社会格差等に対する不満のスケープゴートに体よくされているようにも見えなくも無かった。



その日その日を精一杯生きるという人民も多い。

日々の暮らしと子ども世代の将来といったもの以外については、掘り下げて考えているようには思えない。

 

他方、日本発信のコンテンツビジネス、クールジャパンといったものは、根深く中国の若い世代に浸透し、反日行動を支持する若者の中にも熱烈な日本のソフトパワー信仰者が存在している。「良いものは、良い!」ということなのであろうか?。

 

領土問題で係争状態にあると認めるようにいう政治家もいるが、領土問題に限らず隣国の存在が大きくなれば、様々な分野で利害の衝突があって当然である。いや、知的財産分野の争いは、いまだ本格的な争いに至っていないと思われる。

たとえ、利害で大きく対抗せねばならなくなったとしても、上野の山に長く列をつくり、心から賞賛する鑑賞する眼をもつ、純粋な関心を隣国に持ち続けるという態度が、本来の自然な態度のように思われてならないがいかがだろう。