3月2013

しっかりとした生命観、生死観を持とう

生活

大上段に振りかぶってと思われる人もおいでだと思う。

「しっかりとした生命観、生死観を持とう」とは、私の言ではない。ある方が、私に指導してくださった言である。

ご縁あって、その方の講演の資料集めなどをお手伝いせていただくことがあり、自己啓発のよい機会を頂戴した。

少子高齢化社会の到来が叫ばれていた2000年以降、少子高齢化は実態が先行し、法律や仕組み、市民の意識が追いついてゆかないので、なんとか高齢者が人生90年型で生きるように啓蒙せねばならないとその方は語っていた。

そして、高齢者は「社会的な負担」ではなく、「社会的な資産」であるべきだと。さらに、地域を変えて「在宅」で、福祉の受皿を作ること。働きの場としてのNPO・NGOの成熟を図らねばならないと説諭されていた。

 

近年、その方は「依存型高齢者」が増えれば、国が滅ぶと力説され、「自己自律の心ほど、現代に必要なものはない」と。その先の話が、「しっかりとした生命観、生死観を持とう」ということであった。「生死観の確立」があって、安心の老後があるのだと。死は、生と並んで生命を構成する不可欠の要素であり、いたずらに恐れてはならないとも。健康であろうと心がけられ、特に釈尊の「顔施」を意識されていた。

私は、ふたつのことで褒められたことを記憶している。

ひとつは、普段はいい加減な言を放っているのだが、「ここぞというときの立ち振る舞いと言葉遣いが適切で素晴らしい」と大変、面映いような心地だった。

褒められて悪い気がするはずはない。「ここぞ」というときの言動については、よくよく考えるようになった。ふたつめ、それは文章のことだった。その方は、執筆をされる人だったから、言葉の持つ可能性や表現を豊かにする手法などに造詣が深かったと想像に難くない。その方は、「貴方の文章には、気品がある。大切にしてくださいね」と。どう考えても、もともと田舎育ちのイモ兄ちゃんである。いくら、上品ぶってみたとしても知れているはずである。

きっと、可能性のようなものを見出してくださったのだろう。

 

その方は、明るいイエローやオレンジ、レッドのスーツが似合う方だった。パステル調のスカーフやシンプルな創りのパンプスやヒールが似合う人だった。しかし最も似合うのは、慈母という言葉かも知れない。現世でお別れしても、また来世でお眼にかかろう。今思えば、私に下さった最期の言葉は「先ず臨終の事を習うて、後に他のことを習うべし」と。遺言に従い、「しっかりとした生命観、生死観を持とう」と心新たに思う。