3月2013

施しのこと

生活

 新年のご挨拶状で、小職に寄せられた言葉の中からご紹介させていただく。そのなかで、印象深いものが個人的にはふたつあった。ひとつは、「関心を寄せていただくことが何よりもの励ましになります」というものであり、もうひとつは、「進むべき道を見失った少年らを立ち直させる支えになります」というものであった。それぞれは、児童福祉施設と更正保護施設から寄せられたものなのだが、社会的弱者と呼ばれる全ての方に共通する率直な意見ではないだろうか。私は、常々「ボランテイアとは何か?」と問われると、能動的であること、見返りを求めないことを前提に、仏道でいうところの「施しのこと」ではないだろうかとお答えしている。「顔施」のように笑顔を差し上げるものから、「宿」を提供したり、「座る」場所を変わってあげたり、「財」の提供まで様々だが、恩を着せるのではなく、喜んでさせていただく「喜捨」に通じるものがあると感じている。

年明け後、今年も現れた「伊達直人」。そして、彼に共鳴して続く人々は多かった。自らが進んで行うことで、他者のお役に立てること、喜んでもらえることを見つけられた人々は、誇らしく晴れがましい気持ちになったことだろう。本来、市民社会は、そのように支えあって古代から脈々と発展してきたのだと思うが、財政破綻や秩序崩壊などで為政者は見えなくなっているものが多いはずである。

 

わが国は、世界に誇れる国民皆保険制度がある。役人は、この制度を維持せんと必死の努力をしてきた。制度の維持と制度の恩恵を加入者に保たせようと必死だったに違いない。しかし、近年、健康保険を経済的な理由から手放さざるを得なくなった人々が多くいる。この社会的弱者は、最も健康保険を必要としている人々である。ひとたび疾病となると、自己負担をするか医療をあきらめるかというところまで追い詰められる。そして、その家庭の子供らには救済手段はあるとはいうが、埼玉県などでは歯科医師にかかれず、施しようのないくらい歯が抜けてしまった子がたくさんいるという。また、具合が悪ければ登校しても保健室で安静にして過ごし、保健室の常備薬に頼るよう親に命令されている子も多くいるという。子は、国の宝というが実情を良く見て施さないと策はかえって人を傷つけるばかりである。

修学旅行は、積立が出来ない子らが、「病気」や「忌引き」を理由に欠席するのだという。積立は、親の義務だがそれができない家庭の子らは、「苛烈ないじめ」に遭うのだとも聞く。「義務教育」だというのであれば、「修学旅行」という教育の一環なのなら、全員連れてゆくべきではないのか!?。納得のゆく回答を承りたいと思う。時に、社会の歪を看過せずに意見する者でありたい。