3月2013

お互いさまという気持ちは、この国の宝

生活

 この冬の雪の害には、ほとほとあきれ返るほどだが、除雪には痛ましい事故も起こり、救いのないような思いを幾度もさせられた。雪害の無い地方に生まれ育った人間にとって、雪下ろしの大変さや雪害の厳しさ怖さを切実に感じることは出来ない。ただ、近年も富山県の合掌造りの古民家が雪の重さで倒壊したという事実を報道で知り、つくづくこの冬の雪害は尋常でないと知らされた思いがした。尋常でない雪が降り積もる、毎日毎日雪が降り積もれば、毎日でも屋根に上がって雪を下ろさねばならない。この冬、知人の家族が雪下ろしで誤って屋根から落ちて緊急外科手術を受けたと聞いた。降り始めの時は、柔らかい牡丹雪であっても凍結すれば、石のような硬さになる事だろう。そのようなところに落ちて叩きつけられればひとたまりもない。

望むと望まざるに関わらず、生きるために雪下ろしをせねばならぬ。辛さが

凍みてきそうで寒気がする。

 

さて、雪国は過疎地域が多い。限界集落とまで言わなくとも、屋根に上がれる体力のある者の数には限りがある。いきおい、集落の雪下ろしの担い手は集中傾向になる。このところの犠牲者は、積極的に集落の雪下ろしを担っていた青壮年世代の人間だった。打ち所が悪く亡くなった方、雪が覆いかぶさり窒息や圧死された方、いたましいが何よりも善意の人が犠牲になられたことが空しい。除雪に対する財政手当てを遅まきながら国も行うこととしたが、今度は除雪を担ってきた建築土木業者が、対応できないと言い出してきている。除雪の仕事があっても、会社自体がこの数年の経済情勢下で持ち堪えられずにいるらしい。高齢者が、住民の過半数を超えている限界集落が近年問題になっていたが、生産年齢人口が、加速度的に縮小しているのだ。少子高齢化対策の子育て支援のように長期的な取り組みも地道に行うべきだが、生産年齢人口の縮小によって、集落よりも大きな単位での共同体が機能せずに音を出して崩壊し始めているようだ。為政者の認識よりもはるかに深刻な事態にあることは間違いない。

本年二月の中旬、北海道で鉄道が雪に阻まれ、列車の中で乗客が泊まりを強いられることがあった。国道でも、多くの車が立ち往生した。二年ほども前も福井で同じようなことがおこり、乗客ら同士も携帯電話の電池が切れた人らに、自発的に自分のものを差し出し、励ましあっていたと聞いた。大自然の前で無力な私達だが、復旧までの間、鉄道や道路の関係者らも激務をもろともせず、利用者の支援を不眠不休であたったと聞く。この国に今後も大きな難が襲ってくるだろう。しかし心豊かで善意の人の多く、お互い様という気持ちで堪えてくれよう。炭火のように日本人の芯は熱い。