3月2013

かわをむいて桜餅はたべるべきか

生活

 南九州出身の私は、長命寺餅(桜餅)を上京した後に初めて見た。薄紫色の皮に餡が巻かれている様子をみて、お叱り受けるかもしれないが、「職人が、不精をしてつくっているか生産原価を惜しんでいるかだ」と勝手に決めつけていた。

だが、食してみると実に旨い。さて、関西風というか、西日本風は道明寺餅

である。こちらの桜餅は、糯(もちごめ)を蒸かして干し、粗めに挽いた粒状の道明寺粉を用いた皮に、饅頭のように餡を巻いたものである。私にとっての

桜餅は、道明寺餅以外にはありえないものだった。ほとんどの場合は、それぞれのなじんだものを桜餅と呼び、あえて長命寺餅とか道明寺餅とは呼ばないようだ。

さて、由来だが長命寺餅は、享保の八代将軍徳川吉宗が隅田川に桜を植えたところ、向島長命寺の門番山本新六がその葉を使った餅を作り、売ったものが最初らしい(元祖は山本屋という説)。道明寺餅は、当初、椿の葉ではさんだ餅

だったらしい。

気になることがある。桜餅の葉は、果たして食するのか、するのは野暮か、はたまた随意であろうか。調べると、食べる、食べない、どちらでもよいと諸説ある。出来ることなら、根拠のある食し方、あるいは作法を保ちたいものだ。

 

笑い話がある。

徳川吉宗にちなんだ桜の名所、向島の茶店での話。

地方出身者が、名物の桜餅をおいしそうに食べていた。

店の人間からすると、この地方出身者は桜餅をくるんだ葉ごとむしゃむしゃと食していた。食べ方をしらないのだろうと伺えた。そこで、茶店の女将が見かねて「お客さん、それは皮をむいて召し上がるものですが、」といった。すると

客は、「そうけえ」といって隅田川のほうに向きなおって食べたそうである。

東京では、「皮をむく」と「川を向く」は同じアクセントなので、笑い話が受け入れられるが、地方ではそうは行かない。やはり、日本は広いか。

隅田川をあとにして、ぶらぶらと浅草駅から寿司屋通りあたりにくると、道路の久保田万太郎の碑が、道標のようにひっそりと立っている。最初、見つけたときは感激した。万太郎の句が好きだったからであり、励まされたこともあった。昔、国外に出て仕事をしなければならなかった時に、よく口にした句があった。今でも、桜餅を見るたびに思い出す句がある。

「逢えばとて 詮なきことよ 桜餅」

桜餅の葉は、無粋かもしれないが食したほうがよいのではと、この句を思い起こすたびに思う。万太郎は、きっと食したと思うのだがいかがだろうか。