3月2013

柔らかく記憶を包む懐かしい味

生活

  昨今は、陽気も穏やかで適度に乾燥した空気が心地よく、ビールが美味い。

本来、胃腸の調子がよくないので、控えたいところだが、ビールは健康飲料なので片目をきつめにつぶって呑む事にしたい。ビールには、プリン体が含まれているので、遺伝的に高脂血症体質のわが身には多少心配だが、なんといっても健康飲料である飲むことにする。第一ビールには無駄がない。ビール粕から調味料が取れる。かの優れもののエビオス錠は、妊婦さんが飲んでも副作用がない唯一の薬品だといわれる、ビールが生んだ傑作である。エビオスとは、開発したビール工場のあった恵比寿の地名とバイオを掛け合わせた造語である。

ビール粕からは、良質の飼料や肥料も取れる。アンドレジッドではないが、「一粒の麦」がもたらす、拡がる命のもたらす恩恵のなんと大きいことだろうか。

ビールは、液体のパンとも言われる。ビール党のこじつけた話ではない。

チグリス・ユーフラテス川流域、今のイラクの地で、豊かな実の麦を穀物倉庫に保管していた。ところが、天の恵みの雨と陽の光の恵みが降り注ぎ、倉庫の隙間から中にしのび込んだ。番人が、うっとりするような甘い匂いに気付いて、倉庫の甕を確かめたところ、パンにする予定の麦が、黄金色の液体になっていた。

爾来、この地ではビールのことを液体のパンという。

 

私の記憶の中、液体の麦とは、「水飴」のことである。

事情があって、乳飲み子の私は、父方の祖父母と一番幸せな時を過ごした。

その記憶の始まりは、祖父母と過ごした時の暮らし振りそのものである。

 

祖母は、私の口に入るあらゆるものを丹精して作ってくれた。

おやつの代表格が「水飴」である。まず、麦に水分を十分に含ませ発芽させる。

続いて、麦芽を発酵させる。かなりの量の麦芽を発酵させる。二次発酵の途中

で、ゆるい水飴状態のものを煮詰める。思うに、60Lくらいのものを何昼夜

も煮詰めて、粉ミルクの2L缶に2つくらいにする。

この時の麦芽の甘さは、今も味覚を支配している。

おやつは、毎日、希望どおりに作ってくれた。明治女が、揚げパン風ではあったがドーナツも作ってくれた。それも「かぼちゃ」が練りこんであったりしてなんとも甘い。やさしい甘さが記憶を包んでくれていて、なにかの拍子に頭をもたげてくる。今、見直されている「食育」の根底は、労を惜しまないことのように思う。味覚は、幼児期に容られる。私は、幼児期に芋が好きになった。祖母は、底冷えのする日、芋焼酎の銘品伊佐美をお湯で割って猪口に一盃飲ませて寝かしつけてくれた。今も焼酎のお湯割りは、安らかな眠りをくれる。

中国の自動車産業は、グローバルな競争力を持てるか

生活

 小生は、1990年代の終わりから2001年まで中国の自動車産業振興

セクターに派遣されていたことがある。いわゆる政府開発援助で、ノンプロ

ジェクトと呼ばれる人的な技術支援、人材教育支援を主にする仕事であった。

そのころ、中国の完成車メーカーが100社以上といわれていた。

多くの提言書で、将来の国際競争力や物流コストのことを考え、企業集団を

集約すべきであると強調されていた。

 

その時からすでに、10年以上経つが、今も中国の完成車メーカーは120社

程度あるとされている。

一般的に中国の完成車メーカーとしては、上海汽車集団がドイツのフォルクスワーゲンからサンタナの生産技術を導入して、大衆車の生産台数を飛躍的に伸ばしたというイメージがあると思う。中国要人が使用する高級車「紅旗」は第一汽車によるものだが、長くドイツのアウデイからの技術導入が生産技術を支えてきた。さすがに、国家規模のプロジェクトともなると、設備や人材、資金に至るまで計画がしっかりと策定されているようだが、中堅以下になると技術開発も劣る。

 

中国では、「開発(カイパー)」の概念の中に海外メーカーの製品を分解して仕組みや構造を模倣することも含まれているようで、未だに知的所有権に関するモラル向上に問題が多い。

完成車メーカー120社が、かようであれば傘下の2000ともいわれる部品メーカーの技術開発力もおおむね察しがつく。メーカーの集約化も官僚や共産党幹部の思惑や面子もあり、思うように進まないというのは他の産業とも事情がかわらない。

 

しかし、注目すべき企業は当然ある。アメリカの著名投資家の推奨ということもあり注目を浴びたBYD社は、家庭で充電できる電池車の製造で脚光を浴びてきた。欧米や日本の自動車メーカーの電気車と開発コンセプトは異なっているが、中国のやアジアの市場に支持を得られそうである。

中国の自動車メーカーが、欧米や日本のメーカーが市場開発してきた手法を

模倣することなく、途上国の望む安全基準や耐久性や管理コストのニーズに徹底して取り組めば、欧米や日本のメーカーは太刀打ちできない可能性も大きい

ように思える。とはいえ、完成車メーカーで中国企業で生き残れる数もおのずとはっきりしてくるだろうし、裾野の広い産業だけに、地域振興や雇用の調整まで踏み込むことは避けられない。果たして如何にジレンマから脱却できるか。

対中国環境ODA(政府開発援助)の意義は?

生活



PM2の悪影響は、メデイアで集中的に取り上げられる北京市圏に限らず、中国国内に深刻な影響をもたらしていることは確実のようだ。そもそも、内政干渉をするつもりはなくとも、九州地方にPM2の有毒物質がジェット気流に乗って辿りついているわけで、もはや対岸の火事と看過はできまい。

これまで黄砂といえば、春の風物詩のようにいわれていたが、中国内陸部の砂漠化に伴い、中国国内にもたらされる害が甚大になる一方、黄砂に含まれる有害物質のことに環境当局は注視してきている。

内陸部が、社会主義市場経済による開発により、日本では存在しない有害物質や特に日本で取り扱いが厳しくなっている有害物質が黄砂から発見されているという。

もともと、黄土高原や砂漠地帯に自然界で存在しないような化学物質があるわけもなく、経済開発によって作られたものが、あるいは再開発によって生み出されたものが、春の嵐で巻き上げられ、黄砂の小さな粒子に付着し、黄海をわたって日本列島にたどり着くということだろう。

 

これらのものは、国境だとか主権や領土とか、人間が生み出したような制限や壁を分けもなく飛び越えてしまう。黄砂に限らず、PM2や水質汚染物質等の対策を日本としても考えて置くべきだろう。

対中国ODA(政府開発援助)の中心は、なんといっても円借款であった。

中国の経済開発途上、必要とされる外貨を日本が長く支えてきたことは事実である。だが、第二次世界大戦の不幸な歴史が下地にあるからか、日本も便宜を図ったことを恩を着せるようなことをいわず、また改めて中国も謝辞を重ねることもしてこなかった。

中国は、円借款を事故なく返済を行ってきた優等生国家であった。そして、

優秀な成績での卒業生である。そのような経緯もあり、2000年以降、もはや開発支援を必要とする途上国として日本国やODA供与国からみなされなくなった。ただし、環境分野のODAを除いて。

 

かような中国の環境悪化を防ぐには、中国の行政当局の取り組みに第一義的には待たねばならないと思われるが、排出排水強化がなされても、環境の浄化に具体的な手段が導入されないことには、いかんともしがたいところである。

尖閣諸島の日本国国有化以来、経済面において両国ともに眼に見えてマイナスの要素が想像以上に現れている。面子を重んじる文化からすれば、安易に自己の主張を弱めることも出来ないが、環境ODAの供与が関係改善に大きく寄与

するのではないかという期待もてそうなのだが、いかがだろうか。

この国の形づくりにNPO/NGOを生かす

生活

税制のあり方の中でNPO法人への税額控除について検討は、いまだ不十分だと小職は考えている。非営利組織基準評価会調査報告によると、NPO法人の数は全国でおよそ4万法人程度と推察される。この中から活動状態を把握できる3割の1万2千法人を財政面から調査したという。これら1万2千法人のうち、およそ7割が民間人のよって設立され、運営されており、市町村などの自治体が設立したものが7%。社会福祉法人によって設立されたものが3.6%。公益法人によるものが2.5%で、企業によるものが3.3%と発表されている。

特筆すべきは、1万2千法人の54.5%が寄付金収入が全くないと報告していることである。

 

民間の非営利組織の活動を充実させて、広く福祉や医療などの分野で社会を支えるということは、欧米の先進国でも見られるごく当たり前の市民活動である。ましてや超少子高齢社会の日本において、公的な福祉サービスだけで支えられるものではない。また、福祉の分野でのNPOは、介護保険導入後、他業種に比して人件費を抑制した経営を行っても、公的助成がなければ成り立たないという組織が多いのが現実である。

 

現況で国税庁長官から寄付金による税額控除を認められている「いわゆる認定NPO法人」の数は、120であり、おおよそ4万件のNPOの0.3%に過ぎない。認定NPO法人を増やすとしても、どのように基準を変えるかは簡単なことではない。いたずらに、税額控除を拡大する政策をとると税収の落ち込む国税地方税双方の税収の更なる落ち込みがおきる。

とはいえ、個人が期待するNPOに寄付しやすくすることは、社会基盤の充実に欠かせない。原行の「所得控除」方式では、たとえば年収500万円の人が3万円寄付した場合、寄付金額の3万円から2千円さしひいた金額の2万8千円に所得税率を乗じた2千8百円が税額控除金額となる。3万円寄付して2千8百円の控除金額は、いささか少ないように個人的には思う。いかがだろうか。

ところで、NPO法人と名乗る団体にいかがわしい組織があるのも事実である。

非営利活動促進法に基づく法人ではあるが、認証されて設立されるのは、法律のよって立つところが、善意の市民による善意の活動を前提としている。検証がゆるかったため、設立後NPO法人が反社会的な活動を行い、市民に多大な迷惑をかけた事例も枚挙に事欠かない。寄付金税制による支援は欠かせないが、基準緩和には市民の確かな目が欠かせない。結局、NPO/NGOという社会財を生かし、成熟し、明らかに縮んでゆく日本社会を支えるNPO/NGOの存在は、市民が生み育て、この国の未来を形づくるに欠かせないことは明らかである。

見通しは、たっているのだろうか。環境税強化の中国

生活

 春節休み明けの北京市では、予想されていたことではあるがPM2による大気汚染が日本の環境基準の15倍にも達し、見通しが利かないということで高速道路が通行止めになった。

PM2の汚染から見通し良好な状態は、晴れた風の強い日ということで、なんとも天気任せということである。ただ、過日もふれた話だが、共産党の高級幹部、行政に多大な権限を持つ中央の高級官僚や地方政府の首長が、業界団体の責任者をかねていたりする中国では、環境基準を強化するより、行政機構を変える方が効果的かもしれない。ただし、自浄的な行動を阻害する各種の利害調整ができればの話であるが。

 

環境悪化の原因を外資系企業の工場の廃気や廃棄物によると論調する中国国内メデイアもあり、尖閣諸島国有化問題以降冷え込む日本との関係もあって、

PM2の原因が日系企業の排出によると名指しする論調もある。

客観的にみれば、行政指導の力が落ちているからだといわれそうなものだが、

仮にであっても、反日行動の口実にされてはたまらない。

 

過去、日本でも東京をはじめとする大都市圏の排気ガスが、市民にもたらす

健康被害やGDPのマイナス要素の試算がさかんになされていた時期があった。

日本もかなり多くの支出や投資期間を経て今日があるが、将来を見通して思い切った施策を導入した経緯がある。中国では、社会保険等法定福利制度の導入にあたり、外資系企業に負担を強いてきたが、今回の環境悪化を乗り切るために大幅な環境税の負担を外資系企業に行わせるという青図があるとも聞く。

魅力的な巨大な市場としての価値がうせるわけでは無いが、2000年以降、

平均賃金が5倍に跳ね上がり、工場を稼動させるための電力や脱硫に問題のある石油、さらには工業用地下水の枯渇という問題も抱えている中国に、外資系企業の負担増加を対策として安易に考えてよいものかと疑問が沸くところだ。

 

北東アジアにおいて、日本と韓国は、経済成長の頂点の時期と人口の最大になる時期が重なるという「人口ボーナス」を余すところなく得るという幸運に預かった。中国は、押しも押されぬ経済大国にはなったが、人口ボーナスを得ることなく、経済のピークが過ぎてゆく過程にあることが明らかである。しかるに、明らかに巨大市場に参入するコストが割高になれば、市場からの撤退も視野に入れて活動する外資企業も出てくるはずである。環境税の導入や一層の外資系企業への負担を目論む中国の為政者に、見通しが十分にたっているようには思えないのだが、果たしていかがなものだろうか。

国民の生命と財産を護るというけれど

生活

  耳に慣れた物言いだが、日本国は、国家として「国民の生命と財産を護ってくれるのだ」と聞かされてきた。だが、うつむき加減になった時代の気分がさせるのか、金科玉条のように信じる国民は少数派ではなかろうか。

国民の三大義務と問われてすぐ回答できるだろうか?まず、「納税」は浮かぶことだろう。納税で苦しんだ経験のある人は多い。別にずるいことをしたから苦しむのではない。要するに、“税は正味財産の増加部分”にかかるのだが、増加が現金や国債のような有価証券で増えない限り、納税を現金でスムースに行えないのが実情である。銀行から借り入れても納税を行う人は多いが、真摯に納税に向き合う人には気の毒なことである。続いて、「勤労」。その昔、勤労奉仕などという言葉で、学校や職場や地域をあげて衛生や環境美化につながる活動で額に汗する人も多かったはずである。ところが、これだけ非正規雇用労働者が増え、雇用の創出に希望の光が差し込まない世相になると“「勤労」を言う前に仕事を作り出せ“とお叱りを受けそうである。そして、最後は「教育」である。今も押し問答が、朝鮮学校にも高等学校として授業料の無償化がなされるべきかどうかと繰り返えされている。授業料だけの無償化が、真に弱者救済になるかは不明である。



以前の本コラムで触れたが、“あしなが育英基金”が“高校授業料無償化”の政府、民主党の広報の徹底により皮肉なことに集まらなくなった。多くの善良な市民は、高校にすべての費用が無償で進学できると誤解している。高校は、授業料が無償になっても「弁当代」は必要だし、「交通費」や「副教材費」、「体操着」、などなど必要なものはいくらでもある。

「経済格差」が「教育格差」を生んでいることは、もはや疑う余地のない事実である。もし、貧困に苦しむ家庭の子弟に可能性の扉を開かせてあげられるとすれば、それは「教育」の機会だろう。国際協力の分野でも、確実に成果を挙げ、感謝されるのは職業訓練や能力開発訓練も含めて広義の教育である。

ところで、教育に「扶養」の概念が含まれるとすれば、平等な納税における“査察権”の行使があるように、児童相談所やその職員に強い権限を与えられないものなのだろうか。税務の査察官は、不正を確信したら建物を壊すくらいのことは何でもない。社会正義の実現に対するコストだといわんばかりに邁進する。児童虐待の通報を受けた児童相談所が、子どもと面談させてもらえず、結果として、本意ではなかろうが多くの子どもを見殺しにしてしまった。ただ、前線で児童虐待に立ち向かおうとする誠実な職員の方の気苦労ははかり知れない。



さて、児童相談所が強行してでも子どもの救出に立ちはだかるのは、法的な手続きである。基本的な人権の尊重の前に躊躇もあるのだろう。しかし、

それでも多くの善良な市民は、なんとかできないものだろうかと思っているに違いない。極端なことを言えば、子どもが虐待されて瀕死の状態にあると予想された場合、家を壊し突入したところで、多少の間違いがあっても世論は許容するのではなかろうか。国家は、物言えぬ小さな国民の命を護るために、あらゆる努力を惜しまないということを示してもらいたい。

親権を持った加虐者らの虐待に耐えて、あるいは育児放棄の果てに命が風前の灯ということが今も起きているや知れない。人命を尊び、また犯罪者の人権を護るのも結構。だが、罪を犯すこともなく虐待で命を奪われ、死に等しい心の傷を負った子どもは誰が護るのか。罪を犯した人間を正しく裁くより、ひとつの命を救ってもらいたい。何よりも奪われた命は、再生できないのだから。

かわをむいて桜餅はたべるべきか

生活

 南九州出身の私は、長命寺餅(桜餅)を上京した後に初めて見た。薄紫色の皮に餡が巻かれている様子をみて、お叱り受けるかもしれないが、「職人が、不精をしてつくっているか生産原価を惜しんでいるかだ」と勝手に決めつけていた。

だが、食してみると実に旨い。さて、関西風というか、西日本風は道明寺餅

である。こちらの桜餅は、糯(もちごめ)を蒸かして干し、粗めに挽いた粒状の道明寺粉を用いた皮に、饅頭のように餡を巻いたものである。私にとっての

桜餅は、道明寺餅以外にはありえないものだった。ほとんどの場合は、それぞれのなじんだものを桜餅と呼び、あえて長命寺餅とか道明寺餅とは呼ばないようだ。

さて、由来だが長命寺餅は、享保の八代将軍徳川吉宗が隅田川に桜を植えたところ、向島長命寺の門番山本新六がその葉を使った餅を作り、売ったものが最初らしい(元祖は山本屋という説)。道明寺餅は、当初、椿の葉ではさんだ餅

だったらしい。

気になることがある。桜餅の葉は、果たして食するのか、するのは野暮か、はたまた随意であろうか。調べると、食べる、食べない、どちらでもよいと諸説ある。出来ることなら、根拠のある食し方、あるいは作法を保ちたいものだ。

 

笑い話がある。

徳川吉宗にちなんだ桜の名所、向島の茶店での話。

地方出身者が、名物の桜餅をおいしそうに食べていた。

店の人間からすると、この地方出身者は桜餅をくるんだ葉ごとむしゃむしゃと食していた。食べ方をしらないのだろうと伺えた。そこで、茶店の女将が見かねて「お客さん、それは皮をむいて召し上がるものですが、」といった。すると

客は、「そうけえ」といって隅田川のほうに向きなおって食べたそうである。

東京では、「皮をむく」と「川を向く」は同じアクセントなので、笑い話が受け入れられるが、地方ではそうは行かない。やはり、日本は広いか。

隅田川をあとにして、ぶらぶらと浅草駅から寿司屋通りあたりにくると、道路の久保田万太郎の碑が、道標のようにひっそりと立っている。最初、見つけたときは感激した。万太郎の句が好きだったからであり、励まされたこともあった。昔、国外に出て仕事をしなければならなかった時に、よく口にした句があった。今でも、桜餅を見るたびに思い出す句がある。

「逢えばとて 詮なきことよ 桜餅」

桜餅の葉は、無粋かもしれないが食したほうがよいのではと、この句を思い起こすたびに思う。万太郎は、きっと食したと思うのだがいかがだろうか。

色彩を超えた書画

生活

 上野の山の国立博物館で書聖王義之展があり足を運んだ。

毎度のことなのだが、人気の高い展覧会はゆっくりと鑑賞することが叶わない。しかし、ほんの一瞬でも本物と対面できることは、それでも価値を計り知ることが難しいので、なんとかすばらしい展には足を運ぼうと思う。

仮の話だが、本物を自然な形で鑑賞しようとハイビジョンカメラを使って観たとしても、自分以外のフィルターレンズを通して観ることに違いない。観たいように観られるか?あるいは作品の雰囲気を感じ取れるか、それが問題だ。第一、肉眼で見る機会には、いいすぎかもしれないが、本物が醸し出す空気を毛穴から吸い込むことが叶う機会でもあるのだ。作品と対峙する意味は大きい。

さて、王義之展ではよくも古いものが(多くは拓本であるが)残っていたものだと感心しきりだった。さらに、後世に伝える思いや伝え方もきっと素晴らしいものに違いない。個人的には、王義之に影響を受けて般若心経を隷書で書いた西令印社創立者のひとり呉昌碩の軸が心に焼きついた。

多くの作品群は、茶系の墨で鮮やかに書き出されていた。、五言や七言絶句、書状など短い文言であっても人の思いや願いや祈り、そして情景を写し取ったものに違いない。作品群は、後世に残され伝えられる自覚があるからこそ、そのときの様子や人との出会いと別れなどをありのままで描きたかったのではなかろうか。限られた紙幅の中に、丹念に人物を描きこんだ様子から想像が膨らむ。

 

日本人が使う漢字は、源を辿れば象形文字である。自然や物事、動作所作などを形にしたことは明らかである。絵画と基本的に同根である。仮名は、漢字の宛て文字であり、辿ればこれも絵画と同根であると言って差し支えあるまい。

絵画をデフォルメしたような文字で情景を切り取るのが俳句のようにも思えてくる。水墨画と俳句の共通点についていえば、「余白の美」と「余韻」。この場合、作家は、鑑賞者の想像力を借りて作品を完成させているといえよう。水墨画は、通常、日本画と違い背景を埋めることをしない。余白に、空気や風や光などの存在を感じ取らせる哲学的な芸術と言えよう。俳句とて、限られた言葉の使い方によって読み手の想像力や咀嚼力を借りて完成させる美が存在している。加山又造展に足を運んだ。絵画の枠にとどまらず、芸術世界を自由に飛翔した巨人。加山の描いた水墨画に向かい合いたくて出かけた。特に、晩年の水墨画に圧倒されて固まってしまった。墨に「色彩を超えた色」と価値を見出したと解説文にあった。ただ、唸ってしまった。真理は、饒舌とは限らない。

ところで、書画の源である中国で軸装職人がいなくなり困っていると聞く。書画は額装すればよいとしても、文化大国と言えども困るはずである。

お水取り

生活

 三月も十三日の寅の刻、奈良は東大寺の二月堂で「お水取り」の行が行われる。「瀬々のぬるみもこの日より」といわれるくらいなので、多くの信者や観光客も早々と用意をして待ちわびた末に駆けつける。メデイアもよほどのことが無い限り、お水取りの記事や画像の配信は全国に送りつけなければならない。

 

水取りや こもりの僧の 沓の音 ~ 芭蕉



暦を読むと毎年東大寺で三月一日から二週間続けて行われる修二会(しゅにえ)の一環とした行事であるという(実際は二月二十日から厳しい修行に入るらしい)。草木も眠る寒さ厳しき春浅い未明に。僧が修練衆を従えて「若狭の井」

から香水を汲み上げる行事である。このありがたい水のことであるが、井戸が若狭の国と地中でつながっていると信じられてきた聖水ある。

先人の信心も相当なもので、この水を病人に飲ませて快癒させるという進行も生んだのだ。地元、関西の方々もよほど信心が強い方ばかりなのだろうが、壮大稀有な信仰である。

奈良の冬は厳しいのだが、修二会の終わりのころは井戸に張る氷ももはや薄く、お水取りにふさわしいころとなるということらしい。

信心のあるなしに限らず、神社仏閣の行事はなぜ?「どうして?」を聞いてみないと合点が行かないことが多く、また聞いてみると先人たちの思いが偲ばれる。九星気学(陰陽五行説)では、春は、青や碧や緑の色であらわすとともに。東の方位から風が吹いて始まると考えられてきた。菅原道真公の「東風吹かば にほひおこせよ 梅の花 あるじなしとて 春なわすれそ」の東風こそは、春風が吹いてきたらと思えばよい。大学駅伝でも良く知られる熱田神宮の東門は、春の風が吹いて来て門をたたくという意味があるらしい。東は、春の入り口ということになる。

 

皇太子殿下一家のお住まいである御所は、言わずとしれた東宮御所であるが、

時代を遡ると春宮と書かれていた時代もあったそうだが、読み(発音)は、「とうぐう」のまま通したらしい。この国は、漢字を輸入し、ひらがなをこさえたたり、あて文字をつくったりと伝統的に読みや発音を重視するようだ。

春駒(はるこま)だからか、春をあらわす色の青(陰陽五行説)にちなみ、「蒼(あを)」と読んだりしたのだろうか。きっと、碧のたてがみが美しい馬だったことだろう。その後、白い馬を用いて神事を行い「白節会」となっても、読み(発音)は、「あをうまのせちえ」のまま。そのまま読んでも、呼称と異なる多くの命名に祈りや願いがこめられているのだろう。「あを(お)」や「ひがし」にちなむものが多いだけ。春を待ちわびる人々の思いも深いことだろう。

国家と日本人を問うた日々

生活

 今年に入って、東日本大震災の被災地の方々と鎮魂の灯篭づくりに請われて参加した。震災直後から伝えられて聞くもの見るものに、気をとられることが数多くあり、感動も無力感も併せて飲み込むような複雑な気持ちで、月日を重ねてきた思いがある。言い尽くされたかもしれないが、被災者の言動は、いかに困難な状況にあろうとも節度があり、しばしば聞き入り、感じ入ってしまった。逆に対照的な話、深刻な原発問題への取り組みや東京電力の対応に不手際があるとして、間断なくヒステリックに東京電力や内閣を非難する報道が続いてきた。事の重要性に鑑みて、日付を見なければ気づかないほどに変わりばえしない新聞や繰り返しのメデイア画像を見るたび、この国の財産はものを無やみに口にせず、懸命に生きる人に尽きるのだと気づかされる。

 

藤原正彦氏が、著書「国家の品格」で解いているように、「国家とは国語」という主張には思わず頷いてしまう。津波は、ことごとく人の暮らしを破壊して奪い去ってゆくが、人の思いや願いや祈りを奪い去ってゆくことはできない。

また、南米やハワイに移住していった日系人は、生物学的にというより日本人の文化を保っているという意味で日本人だと考えたほうが良いと思う。どこに住んでいようとも日本の文化を保ち、日本語を用いて思考し、礼節を重んじて暮らす人は日本人である。他方、「国家」を問われ、憲法を持ち出し、主権や領土などを用いて懇切丁寧に教養の一端を披露してくださったところで、その人の説明にすっきり腹落ちしないだろう。「国家とは国語」はいい得て妙である。

震災発生後、救助に手間取り、瓦礫に閉じ込められ、衰弱した状態で助けられた人たちは、「ご迷惑をおかけしてすみません」と詫びた後、心からの感謝の言葉を口にしていた。外国人からすれば、何も悪いことをしていないのに、なぜ謝るのかと不思議がるだろう。他人の手を煩わせることがあれば、天変地異や不可抗力が原因でも申し訳ないという感性は、日本人の宝とすべきだろう。

さて被災者の方々が、震災後、はじめての炊き出しで温かい食事を振舞われ、あるいは陸上自衛隊によって入浴ができるようになったときのことである。男達は、寒中に長くあって辛抱強く立ち並び、温かい食事を弱いものたちに、先に先に渡そうと、次から次に後ろに回していった。風呂にあっては、体の芯から冷えてしまっても、弱いものたちを先へ先へと風呂に入れさせていった。

やせ我慢があるかも知れない。当たり前として振舞う男達に、気負いもない当たり前のことだから。厳寒の中でも胸を熱くさせる立ち振る舞いは、なんとも晴れがましく誇らしい。許してもらえるのなら、日本人に備わる美徳と日本人に備わる優れた感性と資質と言わせてもらいたい。他方、言い訳や保身に終始して、日々をやり過ごす人々に問いたい。本当に日本人なのですか?と。

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