4月2013

天から注がれる産湯

生活

 物心がついた時分に印象的なイベントといえば、花見や花まつり。

なぜか、四月の風景が印象につよく残っている。花見は、陽気にずいぶん左右

されるが、花まつりは四月の八日。この日は、祖父母に連れられて、先祖が永代供養されている寺に赴く。たちこめる線香の匂いと落雁と甘茶の日である。

寺で使われる線香は、匂いが印象的である。回向をする人を雑念から助けたり、悲しみを和らげたりする効果があるからではなかろうか。落雁(らくがん)、甘いのだが、ほおばるとむせる。あるいは、喉が渇いてしょうがなかった。薄茶をいただく御点前のときの干菓子とは、同じ干菓子でも大違いである。ひな祭りの時に飾る干菓子ともだいぶ違うように思う。

さて、甘茶。何度いただいても幼い時分には甘いとは思えなかった。なんで、甘茶というのだろうかと思っていた。

 

甘茶は、無憂樹の下で生まれた釈尊が、直ちに七歩あゆみ、「天上天下唯我独尊」と叫んだという伝説に因む。このとき、八大竜王が、天から水をはき注いで産湯をつかわせたという。この故事にならって、甘茶をかけるのだという。

しかし甘茶、ユキノシタ、ヤマアジサイは、釈尊の生まれ故郷で取れるのだろうか?と思っていたら、やはり日本の江戸時代から普及した習慣とのことである。道祖神祭りなどでもお神酒代わりにつかうらしい。土着の習慣として、甘茶を釈尊像にかけるようだ。

私は、これに勝手な解釈を加えていた。

たとえば良寛。良寛の~かわく暇なし~強い印象から、慈悲深い釈尊が、涙の

かわく暇のないことをあらわすのに、甘茶をかけるのだと思っていた。

「長い日を 乾く間もなし 誕生仏」 ~ 一茶

一茶の句も、慈悲深い釈尊の慕われる様子をあらわしているものと考えていた。

しかし、単に情景を写実的にあらわしたに過ぎないようだ。甘茶をかける習慣

は、信州から広まったようである。一茶も信州の出である。良寛の住まった在所にも驚くほどは遠くもない。案外、勝手な想像もさして意外でもないような

気さえしてくる。

「花まつり」の花についてなのだが、どんな花がふさわしいのだろうか。

南九州育ちの私には、桜満開の様子が眼に浮かび、花は桜で間違いないと勝手に想像していた。これも思い込みに違いない。花は、花の総称であって、桜に限らないのである。未だ、雪ふかいところにも「花まつり」はやってくる。芽をようやく出した“ふきのとう”を愛でる「花まつり」もあって良いだろう。緋寒桜が咲いたのち、ハイビスカスの花を仏壇に手向ける南の島にも「花まつり」はやってくる。