4月2013

花のいのちは短くて苦しきことの多かりき

生活

 行楽シーズンである。彼の故森光子女史をして、「でんぐりか返し」を有名にした出世作は放浪記。林芙美子の心象風景と文学碑が、桜島にある古里温泉に似合うかと言えば、返答に窮する。が、実に美しい歌の文学碑であることに異論はあるまい。

 

古里温泉の泉質は、豊かで湯治には相応しいと思っている。その点、この歌碑を見に行こうと考える方には、良い御駄賃になるだろう。しかし、古里温泉の前後の道行きの風景は、稜線も海岸線もすっかり溶岩に覆われ、旅装を解く人の心を和ませる気分ではない。

 

花といえば、桜花。

花の命は短くて、と桜を愛する殆どの日本人の共感の波動を起こさせている。

惜しまれて散り逝く人の命。春爛漫の空に美しく咲き誇り、あまりにも早く

散り急ぎ、散りすぎる花。桜の歌に傑作が多いのは、日本人の情感がそうさせるに違いない。

春は、桜花とともに眺めを愛でる時節。あるいは、散ったあとも懐かしむ花。

春は人が好む最高の季節。そして桜は、心象風景に咲いている花。

散り逝く桜、さらにこれから散り逝く桜。それでも人の心にいつも咲く花。

かの大盗賊、石川五右衛門の歌舞伎でも有名な舞台は、南禅寺山門。

「絶景かな。絶景かな。春のながめは値千金とは小さなたとえ、この五右衛門が目からは万両。もはや日も西に傾き、まことに春の夕暮の桜はとりわけひとしお。はてうららかなながめじゃなあ」~(山門五三桐)。

歌舞伎で語らせる台詞ゆえ、大仰な感じがしないでもないが、石川五右衛門が史実に語られるとおりの存在で、なおかつ大盗賊であるならば、加えて大教養人としたほうがいいようにも思う。

 

橘に菖蒲、藤と淡く咲いても、溢れんばかりのまばゆい陽射しに映える花が、

これからの咲き誇る。惜しむべきは、商業主義が推し進めた利便性が、皮肉な事に、口で味わう旬の愉しみも、眼で味わう旬の愉しみも奪っている事である。

国学者が好んで用いた大和の敷島は、穿った言い方をすれば、四季の花島のことではないかと思っている。

敷島の

大和心を人とはば

朝日に匂う山桜花

~本居宣長~