5月2013

目には青葉 山郭公 初鰹 ~素堂

生活

 これからの時節、世話物の芝居を見るとすれば、少なからず素堂の句にうたわれた世界を観客に見せようと努力することとなる。たとえば、ホトトギスの声を幕のはじめに聞かせる。鰹売り男に威勢の良い売り声を張り上げさせる。縁側や庭先に新緑の植木鉢を置いてみせる。というような具合である。

この芝居ができた時代は、着物を質に入れても初鰹を食するなど珍重していた。江戸では、鰹を勝魚と書いて粋に売り買いしていたようだ。平安時代に代表される京都では、お公家さんなどがホトトギスの初音を待ちわび、心から愉しんでいたようである。現代は、利便性を追及して生活の質が向上したように言われるが、果たして季節感を満喫できないような暮らしは、生活の質が高いといえるのであろうか。しばし立ち止まって、考えてみる必要があるだろう。

 

鰹のことはともかく、青葉の時節は、良寛の歌をよく思い出す。

「かたみとて 何かの残さん 春は花 山ほととぎす 秋はもみじ葉」と。

良寛は、多くの逸話を残しているが、床下から伸びてきた筍のために畳や天井屋根まで穴を開けてしまった話が印象に残る。こどもと一所懸命にあそぶ様子や宗旨にこだわらず教えを請う姿などは、衆生とともに生きるということにつながっているのかもしれない。

良寛のことについて一番好きな逸話は、親不孝を重ねる放蕩息子の甥に説教をしてくれるよう請われて訪ねたときの話である。良寛は、戒めのことばをと催促されてもなかなか切り出せない。そうこうしているうちに、旅立ちの朝が来てしまう。良寛は、不肖の甥子を沓ぬぎのところによび、草鞋の紐を絞めてくれるように頼む。甥子は、けげんに思うが、請われたままに応じる。甥子が、良寛の草鞋を絞めていたときにその手に冷たいものがぽたり。驚いて、良寛の顔をのぞくと涙があふれていた。甥子は、はっと我を取り戻し、以後、孝行息子に生まれ変わったようになったという。

 

言うは易しと承知でいえば、説教もたびたびではうんざりしてしまう。逃げ出したい気持ちが反感となってしまえば、つむじの曲がり方もきつくなるかもしれない。不肖の者も、気づいて自らを省みて、あらためるに限る。

 

瑞穂の国は、まもなく田植え真っ盛りになる。

今年は、究極の食育として、事務所のバルコニーでバケツ稲作をしてみることにした。出芽から苗作り、田植えと進み、稲刈りまで相当な手間が予想される。だが、この秋の雨や風をおもいわずらうことなく、田の草をとるという気持ちで取り組んでみたいと思う。実るほど、頭を垂れる稲穂のように成れるかだが。