5月2013

南水北調

生活

 中国の国家プロジェクトに「南水北調」がある。

華北の水不足を補うために、長江の水を引いて、華北河川に流すという広大な

国家プロジェクトである。主としてエネルギー問題の解決に取り組んだ三峡ダムプロジェクトと比較しても、水資源の確保という使命の大きさから重要度はかなり高い。

 

本計画は、そもそも1952年に毛沢東主席が、「水の少ない華北に長江の水を借りてくれば良い」と発言し、研究が本格化したといわれる。着工が、2002年だったということで、実に50年間暖められてきたプロジェクトである。



日本人にもなじみの深い鑑真和上の出身地、揚州を基点に長江の水を黄河に引く工事を展開してきた。最終的に黄河につなげた後、天津市そして北京市に

引く。その距離はおよそ1、200キロメートルにも及ぶ(別に進める楊州市から山東省省都斉南市ー煙台市ー威海市ルートでも700キロの長さがある)。

工事の進捗は、2013年に入り加速度的に早めており、2014年には完成する見込みだということである。

 

突貫工事は中国のお家芸なので、必ず工期予定中にプロジェクトは完了することだろうが、高低差が80メートルから1,480メートル。地震が起きれば地盤に不安のある地帯を通る。塩分濃度の違う水が混じることで塩害拡散。

というように、いくつもの心配もいる。工事完了後も様々な問題が生じる可能性がある。相手は、生命には不可欠な水だけに、こと簡単にはすまされないということだろうか。

 

毛沢東主席の提唱した「南水北調」に辿りつく以前、南の水を北に引く大規模工事は、毛沢東以前の歴史にも形を変えて実施されていた。

歴史的にも長く工事を展開してきた運河のことである。たとえば「海河」のことである。

この人口河川は、南は杭州を基点とし、長江につながり、北は天津、黄河流域に繋がっている。運河は、交通手段のほか灌漑に用いられ、稲作に欠かせない存在であり、中国人民の命をつなぐ水を運ぶ河である。

北京が、燕都や元都であった時代。すでに多くの臣民を暮らしの安寧のために、すでに大掛かりな利水を必要とし、中国では現実に人口的に問題を解決していたというわけである。願わくば、水質汚染を補ってあまりあるプロジェクトであってほしいと思うばかりである。