6月2013

6月になると、思い出すKK建設のK社長のこと

生活

  6月の声を聞くと、毎年思い出すことがある。1970年代後半の出来。小生の実家近くに、KK建設という会社があった。社長のKさんは、誠実な人柄で地域の誰からも好かれていた。この人が、ある年の6月のとある日に、地元紙に債権者会議を行いたいと参集を呼びかける広告を大きく出した。債権者会議ということは、事業を整理をするということかと、詳しい事情もわからず、釈然としない気持ちで小生も実父と会議に出向いた。

 

さて、債権者会議の日、K社長が切り出した。「永年にわたり、ご厚情を賜り感謝に堪えません。皆様のご期待にお応えしようと手を尽くしましたが、私の不徳のいたすところ、業績が振るわず、これ以上事業に執着すれば、債権者の皆さんに多大なご迷惑をかけると判断し、清算を行いたくお運びいただきました」と。K社長は、そういうと全ての借入先リストと財産目録、銀行通帳を差し出した。

そして、「申し訳ありませんが、長女が間もなく嫁ぐので、箪笥のひとさおは、持たしてやりたいのでご温情を賜りたい」と頭を下げた。娘をもつ者らは、自らに立場を置き換えて、心情を思いやり涙目になっていた者もいた。この人の実直誠実な生き様に感じ入るものは多く、彼の心情に思いを馳せ、そして、その責任を全うしようという清い態度に、すすり泣く者も出た。

 

父が挙手し、債権者の最初の発言をもとめた。が、極めて場違いな発言でリードし。「ばか者!婚礼箪笥は、昔から三点揃じゃなかといかん!。和箪笥には着物を詰めてもたせんといかん!お前がかっこをつけて、嫁に行く女の子を泣かすのか?」。さらに「K!。なんで困った時に、素直に相談せんかったのか。そんなに、ここにご参集の方々と頼りない付き合いだったのか!」そして、「おい(俺)の債権は、たいしたことなか、放棄する!いらん!」。父に続いて、「おまんさあばっかい、よかかっこをしやんな!」(お前様ばっかり、カッコイイまねをして・・)と、俺も、俺もと債権を放棄するというものが続いた。永年のK社長の誠実な生き方を思い、再び立ち上がって欲しいから、重荷を背負わせたくないと債権者達が一斉に言い出したのだ。驚いたことに、箪笥代、着物代、のほか、鏡台を持たせろ!、食器棚も持たせろ!、祝儀もこの場で渡そう!、という具合に債権の棒引き合戦となり、やがて、その場にいた全員が債権を放棄するという事態に至った。(めでたく?)債権者全員の総意で借金棒引きとなった段階で父がK社長に問うた「社長!これでなんとかなるか?」と。しかしK社長が、浮かない顔で発言をした。「皆様のご厚情に、感激しております。が、債権者の皆様にすこしでも配当させていただこうと思い、すべてを処分したので、債権を放棄していただいても運転資金がないのです。せっかくの好意を無にしてしまいそうです」と。

 

父が、口を再び開いた。「相わかった!。ここにご参集の方々は、右手に財布を持って全員前に」と。「方々、右手で中身を全部抜き取り、K社長に渡すことにします」、「直に渡せば、K社長も受け取りを拒めません」と。すると、「帰りのタクシー代がなくなる」という債権者がいた。すると父は、「歩いて帰っても半日もかからんだろう。裸になって、誠意で応えようとしたKには、このくらいのことをしても良かろう」と。

全員、財布をはたいて、無理やり皆で紙幣を持たせて「これで、大丈夫か?」との再びの問いかけにK社長は、またも顔を曇らせ「重ねてのご厚情には、申しようもございません。が、実は、整理のために長く営業をしておりませんでした。皆様から出資を仰いでも、運転資金で食いつぶしかねません。受け取れません」と。

 

「相わかった!」。父が、一段と大きな声で発言し、続けて「ここにご参集の方々は、全員、奥さん孝行を行うこととしたい!全員、台所など水回りは傷みがひどいと思われるので、ここでK社長に仕事を発注したいと思うが、賛成の方は拍手をもって意思を示していただきたい!」。

完全に債権者会議は、再建者会議になってしまった。さらに、借金が無くなっただけでは事業の先行きが見えないと、出資をしてK社長を支えようという話になり、債権者達は全員、金額の大小はあったが出資をすることに決めた。さらに、資本があっても、先々の注文がなければ事業がなりたたないと、住宅や社屋のリフォーム・改装・新築の仕事を世話しようと話が盛り上がった。K社長をそっちのけで、みんなが彼と彼の家族や社員の心配をしていたのだ。

このKK建設は、その後も地域に愛される会社として存在し続けている。この債権者会議の話が地元紙に掲載され、一大センセーションとなり、以後、KK建設は、人気企業に成った。

 

現世に生きることを仮の宿に住むが如くに言う人がる。他方、生命は永遠とも。いずれにせよ、一瞬一瞬を重ねて一生成り。一瞬一瞬を臨終の間際と思って暮らせていければ、濃い人生も送られよう。せめて毎日、毎日、その日を感謝で終えられたら、見えてくる景色も変わることだろう。



死中、活有り。ここぞという時、裸になって本気でぶつかりたいものである。