7月2013

4分の1。アフリカ生まれの考えさせられる話。

生活

 仕事で忙殺されている人も、やがて炎暑の夏がくればお盆や帰省などを通し、しばし立ち止まり、心静かに時を過ごすことも適うようになるだろうか。

ところで、時を計るから時計というのだろう。しかし、時は本来、量で計るものではない。たとえば、先に見送った「夏至」。一年で一番昼間の時間が長い。計測すれば、一目瞭然である。しかし、長い理由は太陽の軌道が、一年で一番長い軌道を描くからである。それでいて、長い一日でも正午の太陽は軌道の最高点に有るはずで、夜明けは3時の方向の東方、日没は9時の方向の西方にあるはずである。時間とは、宇宙空間で位置を示す意味を持っている。今、自分はどこにいるのだろう。そう、自問自答しながら今を見送る人もいることだろう。一生という言い方がある。その人自身の生涯と思うからこその一生である。だが、その人は、必ず父母から生まれ、その父母らもまた父母から生まれたはずである。その人自身の人生ではあるが、先祖からの命の連続性が保たれてこそ、本日、今、現在、私達は生きている。人の一生という言い方に間違いはないが、私達の命が、地球起源にまで遡れることを思うと、また銀河の歴史まで遡れることを思うと、まさしく生命は永遠の生命のことと同義語だとも思える。

 

話は変わる。マラリアにかかって亡くなる人は、今でもアフリカなどに多い。

ただ、マラリアに罹っても生き延びる病に強い子は、同じ父母から生まれるとして、4人兄弟では平均1人生まれる確立だという。他方、4人に1人、マラリアにかなり弱い子が生まれる確立でもあるという。病気に打ち勝つために、勝ち残れる子が生まれる一方で、簡単に斃れてゆく子が必ずいるのだという。生き残れる子も生き残れない子も同じ父母から生まれ、99.99999999999%以上の確立で、共通の遺伝子を持ち合わせているもの同士である。人格が、全く別だとしても血肉を分けた兄弟は、お互い同士がそれぞれ命の別称だといえるだろう。

自分が健康であっても、兄弟に病弱な子が生まれてきてもなんら不思議ではない。もしかして、人の幸、不幸はめぐり合わせであったり、組み合わせだったり、確立の問題だったり数学のように客観的に解析できるのかも知れない。親を子が選べないように、逃れられない宿命や業はあることだろう。そして、精進と英知で切り開ける未来もあることだろう。

自分が幸せな分、血肉を分けた兄弟や先祖や子孫をはじめ、不利益なことや辛いことを引き受けてくれている人間がいるかもしれないと思えたらどうだろう。素直にその人のことを少しでも暮らしが上向くようにと、健やかに暮らしてほしいと切に願うものではないだろうか。干支は巡る。が、この年、この時は、二度と来ない。万感の思いで見送ろつつ、人々の暮らしの安寧を思いながら生きる境涯こそ、一番の幸せなことではないだろうか。