7月2013

幸福と価値創造

生活

 暑い夏がやってくるとアジアの多くの仏教国では、盂蘭盆会の仏事が行われる。大方、祖霊を偲び、自らの人生を省みて、命の尊さを認識する仏事である。

故郷のあるものは、帰省を試みて、墓参りをしたいと願う。

それが適わないものも寺を訪ねたり、仏壇にお供えをしようとする。

そして、原爆忌も廻ってくる。日ごろ、考えの及ばない、自分自身の生き方

の問題や疎遠になっている親戚縁者に音信を試みてみたらいかがだろうか。

 

その昔、地上に初めて貨幣が生まれた時、中東から東アジア諸国にかけて、最初の貨幣を「羊の頭」にしていたことがあった。誰しもが羊を飼い、身近な存在であったし、貴重な蛋白源であった。羊は、まじめに飼うとそれに応えて繁殖する。羊がよく増殖する様から羊の頭を語源に、CAPITAL(資本・元手)ということばが生まれた。他方、古代の貨幣が貴金属によらなかった時、石や木の実、貝などを用いていたことは、子ども達にも広く知られている。それらは、必然的に等価交換や三角取引などに応える機能を持つようになった。

ある時、市場に強者が現れ、流通や生産にかかわりなく、金融サービスを商品にするようになった。利息は、市場からの調達方法によって課せられる信任の投票のような存在になった。

 

さて、1929年の世界恐慌の原因を企業経営的な観点から理由をあげると、会計説史では、「信用経済の破綻」と「過度の固定資産の増大」があげられる。信用経済の破綻は、大陸横断鉄道などの大量輸送手段が発展し、遠方との大量取引に与信不十分の掛売りが常態化し、企業の帳簿は見掛けの売上や利益だらけになっていった。他方、生産財に対する投資は、景気を支えるためにとても重要ではある。しかし、ダム機能に例えると水を堰止め、下流に十分な水を行き届かせないような場合も出てくる。人の体に例えると、心臓と血液の関係のようでもある。この場合、行く末は死を意味する再生不良性貧血である。かようなことは、歴史や経験、知識に学べば十分に認識できたはずである。にもかかわらず、今回のアメリカ発金融経済恐慌の危機は、事前に十分な回避努力がされたと言い難く、対応策も効果が発揮されたとも言い難い。金融工学を駆使してとか、リスクヘッジを十分に行うなどという言い方に、人々の暮らしの安寧を願う気持ちなど織り込まれていたのだろうか。

 

貨幣が生み出された時から、世界市民が互いに支えあう仕組みを真剣に考える機会は、存在したのだろうか。人の幸福と価値創造について問うてみたいものである。