7月2013

祈り

生活

 美智子皇后陛下が、かねてから「皇室は、祈りでありたい」と申されていることを、かつての報道番組で知った。皇后陛下は、民間から皇室に入られ、皇室と国民のかかわり方に、さまざまな思いをめぐらせてこられたことだろう。

夏期こそは、美智子皇后陛下の申される祈りが、多くのこの国の民の祈りと

強く結びつく時に違いない。日本の夏期は、遠く先祖らに思いを馳せる旧暦の盂蘭盆会~東京は7月13日から3日間、地方は月遅れで8月13日から3日間(お盆)。恒久平和を求めてやまない戦没者慰霊、終戦記念日、原爆忌もあり、逝く夏を見送りながら祈りを捧げ、願いを託すにふさわしい節目が重なり連なる。

 

「祈り」は、本来の意味としては、きわめて積極的な自己宣言である。

なぜなら、「祈り」「いのり」の「い」は、古来、自分自身を意味する言葉である。「のり」は、祝詞(のりと)の「のり」である。宣言するということである。

宣言は、なにも広く世間に対してでなくてよいはずである。「先祖」に対して

「どうぞ、やりとげますから、そこで安心して見ていてください。」でもよいはずである。何を誓い宣言するのかは、人さまざまだろうが自分を含めて他者までが救われる「祈り」であってほしいと願ってやまない。

 

人生における成功者の意味は、経済的あるいは物質的な獲得に限らない筈だ。が、ここ数十年の趨勢は、単に持てる者、富める者を人生の勝者のように賞賛をおくる傾向にあった。本来、人の数だけ夢があり幸せがある筈である。加えて、人間には多様性があり、そのことで創造的に迷い悩むということもあった筈である。東日本大震災被災以後、日本人の幸福に関する認識に大きく変化が

現れてきている。

人生の成功者といわれる方には、いくつかの共通点があるとさまざまな著作につづってある。注目したいのは、以下の二つ。第一は、やりたいこと願っていることや行きたいところのリストを作ることをしていたとういうこと。リストを若い時から作る習慣があったということである。そして、二つめは空想、瞑想、そして「祈り」の習慣があったということである。「月に行ってみたい」と本気に空想したり、「非暴力平和構築実現」の様子を瞑想した人間がいてこそ、それらは叶ったに違いない。辛く苦しく切ない時にあって、祈って願って与えて得られた幸せをかみ締めながら、市井の一角で人の幸せのために奮闘している人も多いはずである。祈って叶わないものは無いというのだから、25代も遡れば1億の数の人間も一組の男女の先祖に辿り着くのだから、隣人知人の幸せのために祈れる境涯になりたいものである。「幸せ」は、平安時代まで「仕合わせ」と書いていたそうである。なるほど、ひとりぼっちの幸せなど想像できない。分かち合える者と仕えあってこその「幸せ」に違いあるまい。