8月2013

ひと月遅れの七夕

生活

 七夕は、いわずと知れた7月7日だが、地方の方々には旧暦の7月7日に因む8月7日の方がなじみ深いことだろう。事実、旧暦の7月7日のことだから、8月7日の方が季節感でとらえてもふさわしいに違いない。

新暦の7月7日では、梅雨時のさなかで、宙を仰いでも主役の牽牛も織姫、さらに天の川さえもすっきりと眼で捉えられまい。これでは、カササギ(橋を架けるのに活躍する無数の鳥たち)も活躍のしようもないことだろう。

 

時は遡る事1990年代の前半。勇躍する巨大な竜になぞらえた、この国はやりの現象があった。それは、以前も本コラムでふれた「七夕婚」、またの名を「カササギ婚」のことである。1980年代後半から徐々に加速した中国の改革解放経済路線の中、食えない地方の若者は沿海の経済特区に参集し、職を求めて血眼になっていた。基本的に中国、とくに地方では結婚するのに地域共産党幹部の承認や職場責任者の承認が必要で、結婚するために多くの気遣いや金品散財がなされた。ゴールまで辿るのに楽ではない結婚をしたカップルは、生活のために別れ別れで働き、年に一度逢うなどの環境におかれ、「七夕婚」または「カササギ婚」と言われていた。

 

小生が、1990年代に国際協力で請われて、何度も中国西部内陸部に派遣された。機会があって、質素ではあるが暖かく心がこもった結婚披露宴に呼ばれたことも多くある。新郎新婦が招待客に、男性にはタバコが一本づつと女性と子どもには飴が一個づつ手渡しされる。時にふと、仕事のために分かれて暮らしたそれら夫妻のその後が気になる。「七夕婚」は、気持ちの通いを疎んじ、多くの離婚を経済繁栄と引き換えたからである。多くの父親は、その娘が生まれたときに、健やかな成長と良縁を祈り酒を仕込む。佳き日。父は、甕を一瞬ためらいがらも、思いの丈で穿ち酒を振舞う。実に、「老酒」(らおちゅう)はこのような酒であり、左党を喜ばすための存在だけにあるのでは断じてない。披露宴では、その酒が万感を呑み込んでしまう。

 

かかわった「中国工場近代化プロジェクト」とは、日本の技術や技能の移転を行い2001年に20年間の永きに渡る業務を完了した。対中国のODA(政府開発援助・Official Development Assistance)は、円借款中心で、無償援助も含め金額的には物の援助が大方だった。技術技能の国際協力は、中国地方社会の指導層や中堅層と日本人専門家が寝食をともにして目標を達成するというものだった。

現在、反日とか抗日とか言われる表現が耳に障るが、海外青年協力隊や派遣専門家に対する感謝と賞賛の声はいたるところで未だに耳にする事が出来る。やはり、人的資源は偉大である。これからもODAの仕組みの発展と国際協力に対する思想と誇りを育ててもらいたいものである。