8月2013

美しい初夏から晩秋の田園風景

生活

 二宮尊徳ではないが、この秋の天候が気になって田の様子に関心がいく。

時は、「さつき」から「みなつき」に遡る。旧暦の「さつき」は、「皐月」と書くが、さつきの「さ」はこれまでも稲作を意味する古来のことばと紹介してきた。だから「皐月」は、古来より大切に育てた稲の苗を田に植えるとても大事な時節だった。先日も書いたが、日本人が桜を大切に思うのは、情緒的に訴求力のある花の美しさ以外に「田植え」の時期をうかがうために、桜の花が必要だったからと推量される。桜は、日本のあちらこちらで山から里へ移され、人の思いを受け止めながら、多くの願いに応えていくつもの品種を生んできた。日本人は、命をつなぐために、幾世代にも渡って愛しく桜を眺めてきた。そして、遺伝子の中に桜を思う気持ちが刷り込まれているのではあるまいか。

今年は、旧暦のさつき以降梅雨明けが早く、雨が少なかった。

十分に大地に雨が降る注がないうちに炎暑の夏がきた。当然大地は干上がる。

 

さて、初夏から晩秋の季節の移り変わりは、欧米人が美しく思う日本の田園風景が主役の景観である。欧米人が憧憬とする田園風景といっても、緯度の高い北海道のなだらかな丘陵の小麦畑のことではない。水を満々と湛えた田が連なる風景のことである。

田のそばにある小高い山は、たいてい手入れが行き届いた里山である。

里山は、幾世代にもわたって分別のある手入れによって、適度な自然が守られてきた。その里山と田が、小さな動植物を養い食物連鎖と自浄能力を兼ね備えた循環機能を保ってきた。

 

欧米人には、田が治水に優れた東洋人の智恵とは思えないだろう。しかし、水を満々と湛えた美しさをわかってもらえることを素直に喜びたい。晴れた日、水面の上に青い空が映る。そして、雲が風に押されて流れて行く様子が映る。

「みなつき」という。「水無月」と書く。水がないと書くが、田は満々と水を湛えている。「水無月」は、「霜月」が「神無月」の「上月」に対する「下月」のように当て字である。水無月と書くより「水月」と書いて「みなつき」と読ませたほうがとおりが良いように思える。

 

ところで、中国四国地方には、幸いなことに美しい千枚田が広がっている。

千枚田は、下から石を積み上げて作る日本のピラミッドである。傾きがあれば水が枯れて稲は肥えず、また歪があれば崩れて落ちる怖さがある。

日本人は、自然と折り合いをつけながら、多くの実りを得てきた。

たとえば、石を積み上げられてつくられた千枚田は、治水に優れるばかりではない。上から下に絶えず流れる「冷かけ水」は、本来より大きく日格差(温度差)を生む。先人の智恵によって、ゆるやかに流れる水が、米の栄養や旨味を閉じ込めているのだ。たまには、瑞穂の国の青く美しい稲田を眺めていたい。

 

この秋は 雨か嵐か 知らねども 今日の勤めの 田草とるなり(尊徳)