10月2013

タモリの赤塚不二夫氏弔辞が、白紙だった理由

生活

 今年も実りの秋に、季節が巡ってきた。惜しい人を亡くしたと思うことは毎年のようにある。暦を遡ると、大きく報道されたこともあったが、印象深いものにタモリの赤塚不二夫氏の葬儀での弔辞のことがある。森田一義アワー~個人の冠生番組でギネスもののタモリのお昼番組も来春で幕を閉じるらしい。

そのタモリ、最近はタモリ論なる大真面目な著作も発刊されて注目も浴びて

いるが、赤塚不二夫氏の葬儀でのタモリの弔辞のことが今なお鮮明な印象ともにある。

立派な弔辞であり、繰り返し報道されたニュースの映像から、「私もあなたの数多くの作品のひとつです」などの言葉などを聴くにつれ、なんと誠実で心のこもった弔辞だろうかと感心もした。ところが、ニュースの画像から見ると、どうも弔辞が書かれているはずのものが白紙にしか見えないので話題になった。

 

気になって、そのことをそれからWEB上で探していたら、某テレビ番組スタッフが確かめたという話が掲載されていた。事実は、やはり白紙を手にした勧進帳だったそうである。なぜ、そうなったかというと赤塚不二夫氏に捧げる弔辞なので、紙に書いてゆこうとしたそうである。ところが、前の日に痛飲したらしく、面倒くさくなり、「赤塚不二夫さんならギャグでいこう」と白紙の紙を読む勧進帳でやることにしたということであった。タモリ一流の照れなのかも知れない。このような話を聞くと、釈尊が、入滅したときに耐え難い悲しみから大酒を喰らって酩酊し、遺体の安置してある御堂に入れてもらえなかった地蔵尊のモデルになった男を思い出してしまう。

 

弔辞は、内容が素晴らしいということで、居合わせた記者らによって書き起こされた。一部メデイアで全文紹介されるというような扱いを受け、日に何度も、そして幾日もいろいろなメデイアで繰り返し取り上げられていた。その長さも8分なのだが、言葉に詰まることなく、抑え気味に読まれる言葉に真面目さが滲んで見えたようだった。冒頭の「赤塚先生」から始まり、赤塚富士夫氏との出会い、「私は、あなたにお世話になりながら、ひと言もお礼を言ったことがありません」「しかしいまお礼を言わさせていただきます」など平易な言葉で淡々と読み上げられていた。読み上げられた紙が、白紙だったとは。やはり、話すということにおいてタモリの言語脳機能は、まさに恐るべしである。

ところで、前出のタモリ曰く、「赤塚不二夫さんならギャグでいこう」なのだが、勧進帳のどこが「ギャグ」で「オチ」なのかである。

 

タモリ曰く、「俺のマネージャーの名前がトガシ」とのことである。

安宅の関の富樫左衛門のことに掛けて、ギャグの天才への弔辞を勧進帳でこなすなどとは、感心しきりとなってしまった。イヤミばりに、シェー!!。

地域通貨。企業内通貨そして信任

生活

 環境保全意識の高まりとともに、地方でも市民運動が高まり、環境NPOも

数多く生まれた。大人ばかりでなく、地域の小中学校の児童生徒も活動に巻き込んで成功している地域もある。



JR高田馬場駅に降り立つと、電車の発車オルゴールが鉄腕アトムの主題歌。

思わず、口ずさむ親父さんらも多いことだろう。ロボットにして人間性豊かな

アトムの存在は、世代を超えて多くの人々に多大な影響を与えたことだけは確かである。

西早稲田の商店街が、リサイクルやごみの排出軽減など環境に成功した。

また、地域通貨として鉄腕アトムの10万馬力が威力を発揮し、地方でも採用するところまで現れた。鉄腕アトムが印刷された地域通貨は、多感な少年期を送った親父たちには日本銀行券にはない付加価値が感じられるのかもしれない。

精神的には、母の日に贈る「肩たたき券」や「お手伝い券」のようなもので

ある。

「通貨」とはなにか?と問い、今までで一番わかりやすい答えは、「政府の借 金」というものである。つまり、「印刷してある金額」を政府が保証してくれる

という。政府が貨幣の所持者に対して、その金額を保証してくれるというものである。

 

ところで、企業の究極の目標のひとつに日次決算がある。

日本でも名だたる企業が、「本日現在の企業価値」をいつでも産出できるように

と日次決算に挑戦している事例もある。

企業価値を算出するには、債務債権の総額がわからなければならないし、売上や費用も確定できていなければならない。これを突き詰めてゆくと、魚屋や八百屋のような日々の決算が可能な企業ということになる。

もしも、子ども銀行券のようなものを企業内通貨として流通させて、銀行と

同じように15時で締めて、17時までに精算するということができるならば、規模の大小を問わず、日次決算が可能な優良企業ということになる。

 

地域内通貨も企業内通貨も通貨価値を守るのは、企業の姿勢であり、理念そのものである。日本国の円が、金融緩和政策で大量に市場に今後も出回ることになる。デフレーション脱却を訴えてのことであるが、今のところ、国際的な信任が高いようである。これは、為政者の姿勢や官僚らの努力にもよるのだろうが、やはり日本国民の姿勢に対する信任そのものである。永きにわたって日本国民が努力してきた結果であろう。百年を超える信任のようにも思う。

日々インプット、アウトプットすべきこと

生活

 「人間は、文字や言葉を使って思考する」。

よく、頭の中を整理するというが、頭の中を開いて整理することはできない。できることは、文章にしてアウトプットすることである。

たとえば、原稿を頼まれ場合、800字の原稿だとすると、パソコンに入力してプリントアウトして赤ペンで直す。そして、また入力してプリントアウトする。この作業を繰り返し、繰り返し5回とか6回ぐらい行い原稿を読み直した時、よく考えが整理された状態になる。

本を読むのと同じくらい、今度は“文章にしてみる““毎日文章を書く“ということが大事になる。「毎日、本を読む、そして文章を書くということを続けた場合、1年後、2年後、3年後の知識や精神的な成長は著しく、しない場合と比べて大変な差が生じることだろう。自分の考え方を直したりするのは、文章に起こして正確に行うべきせある。

 

仕事のやりがいとは何かと問わば、「人間は、動物であり、動物は文字とおり動くものである。もし、1週間でも病に伏せてベッドに横たわっていたら、起き上がってもふらふらだとおもいます。人間は、したがっていつも仕事をしていなければ、動いていなければ生きて行けないような存在である。生きがいは、

目的をもって日々動くことにつながっていよう。また人は、過ぎたことをくよくよして悩んだりする。さらに未来に対する漠然とした不安でいっぱいになったりもする。変えることのできない過去のことを悩み、未だ来ない未来のことを心配しても仕方ない。いつも問題の処方箋は、「今を生きること」。今を徹底的に大事にする。そのことがやりがいに繋がることだろう。



同じ価値観や役割や仕事を共有する仲間でなければ、真の仲間にはなれそうにない「共生感」がとても大事である。仕事の種類や適性とかに関係なくである。

物欲のない人間や地位に対する良くのない人はなかなかいないことだろう。

これは本来誰もが持つ利己的な願望である。この利己的な願望をすこし押さえて利他的に生きてみようと動く。

そうすると内面に変化が現れてくる。利他的に生きることによって、すこしばかり晴れがましく誇らしい気持ちにも幸福な気持ちに成れる。社会的に弱い立場の人々、虐げられた人々、貧しい人々を助けられるようなな気持ちで生きてみれば、陰鬱な気持ちとは無縁の人生が拡がることだろうか。もちろん、よい情報のインプット、アウトプットに加え、特に朝は、栄養のバランスを考えたものを摂りたいものである。健康は、積み重ねであるし、選択の結果である。

100年前の日本が、朝鮮半島

生活

 このところ、とくに韓国大統領の対日外交政策が険しく、韓国国内外で議論が激しく交わされている。他方、日本国内でも在日韓国朝鮮人に度を越した攻撃をする集団が現れ、一般市民を巻き込んでコリアンタウンに緊張関係が生まれている。

かようなときだからこそ、100年前の朝鮮半島を臨んだ日本を振り返ってみたい。100年前の東京には、初の西洋式公園として日比谷公園が誕生したころである。桂太郎内閣の頃であり、西暦1900年代という時代は、日本が岐路に立っていた時代である。このとき、日本は韓国に対する地政学的な研究などをさかんに行っていた。理由は、日本にとって歴史上、朝鮮半島の安定がとても非常に重要だったからである。

 

中国は、王朝の連続であって中国という言い方は、第二次世界大戦後のものだと考えるべきである。この時代中国は、清という王朝であった。歴史的には日本への脅威は朝鮮半島を渡ってきていた。朝鮮半島が、平和で安定しないと日本が安定(独立が保てない)しないということであって、当時の日本のリーダーたちは朝鮮半島の権益をいっそのこと押さえてしまおうと考えた。そのための清との戦争であったと考えるべきである。いわゆる日清戦争のことである。日本は、戦争に勝つことは勝ったが、やっとのこと勝てたという首の皮一枚の勝利であった。賠償金と領地割譲で台湾を得ることになった。この時代の列強たちは、植民地支配するときは搾取するばかりで何もしなかった。日本は、これとは決定的に違って人材と資本を投下して台湾を近代化しました。台湾を殖産新興したのである。

さて、ロシアに目を転じたい。ロシアは大変寒い国である。冬になると港が凍ってしまい閉じ込められたような状態になる。閉じ込められると漁はもちろんのこと通商もできない。したがって、歴史上長期に南下政策を行い、不凍港を得ようとする戦略を立ててきた。息の長い戦略は、ロシア人の中に南下政策のDNAが恰もあるような印象を与る。日本が、清に戦勝し朝鮮半島を支配下に置いたとき、ロシアも南下して鴨緑江(朝鮮とロシアの国境の川)の対岸まで進出してきており、日露戦争が避けられない状況になった。日露戦争も首の皮一枚で勝つには勝ったが、その後、軍部の暴走に歯止めが利かなくなった。

 

ところで、日本は第二次世界大戦で敗戦の憂き目にあった。負けた国は、巨額の賠償金を支払わねばならない。日本は、敗戦時本当に貧しかったので支払うことができずに「人材を教育して返すという賠償留学生」の受け入れをした。

このことを考えても相互理解に留学生の受け入れは大変に有効だといえよう。

農業生産品の就業人口とGDP

生活

 ここ数年間の日本の統計を見ていて、非常に驚いたことがあった。それは、

家電企業が振るわなくなったといえ大企業のパナソニックグループの売り上げと日本国内での農業GDPとの比較をすると規模が似たようになるというもの。

日本の農業のGDP(平成23年度は、ほぼ8兆2千300億円規模)とパナソニック社の売り上げ総額は、ほぼ同程度(近年8兆円から9兆円の間で売り上げが推移している)であるが、人口比率で見ると少なくとも8:1程度の開きがあるのである。

 

平成25年現在の農業就業人口の推計によれば、凡そ240万人程度と思われる。これを多いか少ないかという意見を別にして、心配すべきは就業人口の

現象が止まらないことである。

平成20年の統計では、凡そ290万人が農業就業人口であったが、以後毎年10万人程度減り続け、5年間で50万人の減少である。

TPPに加盟することで、日本の農業が大きな打撃を受けるという予想やむしろ農業にビジネスチャンスが生まれるという見解がメデイアをにぎわせているが、農業が命の問題と深くかかわる基幹産業だという認識に立てば、TTP交渉以前に議論しなければならないことがあるだろう。

 

昨今、海外で生産された農業産品の農薬汚染や有害化学物質添加の問題が大きく取り上げられ、国内にあっては放射能汚染検査などの問題が神経質に取り上げられている。

安全安心ということもあるが、何よりも健康問題、命の問題に直結しているのだから、ことが大きく取り上げられることは当然だろうと思われる。

 

しかし、それ以上に素直な気持ちとしては、食の安全安心を説く一方、それを直接守る農業就業者が、激減している現実はいかが考えれるべきものだろうか?この問題は、たとえば補助金行政で対応できる問題なのだろうか?

食の安全安心を担保するということであれば、国民の大多数も農業就業者を減らさないための補助金には大方同意することだろう。もはやここに至っては、農業就業を奨励斡旋するという段階をとうに過ぎているような気さえする。お隣の中国では、本来、人口の80%を占める農民が食えず、労働者となり都会に出稼ぎに出て、土地を放棄し、あるいは不動産開発が繰り返され、確かにGDPの達成額は大幅増加した。しかし、環境保全を行わなかったために、荒れた土地と汚染された国土が拡大した結果、人民の健康や命を脅かすに至っている。農業行政は、厚生労働行政や環境行政と一体化させて考えるべきである。

財政の崖に際に立つも製造業復活の兆しの米国

生活

 ここのところ、中国の外貨準備高がさらに上乗せされて増えているが、目新しいことでもないので、メデイアの取り扱いが小さい。それでも、中国の4兆ドルを超える外貨準備高の3分の1を占める「米国債は大丈夫なのか?」というアナウンスが中国政府当局者からある。

「心配だったら買わなければよいだろう」と突っ込み返されそうな気もするが、米国国内もさほど余裕がない。

 

現実的に、デフォルトが起きそうになる直前で、なんとか回避行動を繰り返している。そうなると、当局者や議員、市民らもデフォルト危機に対する感覚が麻痺してきているかもしれない。また。デフォルト危機を交渉の条件に用いる野党共和党の趣味はかなりひどいが、この行動選択が共和党支持者の中まで敵を造ってしまい、この先党の自己破壊に繋がるのではという心配まで出てきているようだ。

 

さても不思議なもので、政治が混迷深い状況になると民間企業が頑張り、社会運動も盛んになってくる、さらには、バランスを考えた選択が市民の中に広がってくるものである。近くふれたいと思うが、FRB米国連邦準備理事会の新しいリーダーの選択にも米国のおかれている状況を端的に表す時代の気分がよく現れているようだ。

 

話は変わる。本来、経済大国といわれる国は、資金調達の有力な市場を持つ。

米国、英国、独国そして日本。そして、大きな市場を抱えている。これまでも、そして今も圧倒的に欧州であり、北米、日本の三極であった。さらに、これに加えて独自の高付加価値生産や技術があった。これも欧州、北米、日本が大きくウェイトを締めていた。中国が世界の工場といわれたのは、安価な余剰労働力によるところが大きかった。確かに経済成長による消費経済の拡大が中国投資の魅力を高めたことも事実である。中産階級の消費経済は、今後も拡大することだろうが、労働賃金の高騰により、欧米の製造業とそれを支える金融サービス業の中国撤退は今後も続くこといだろう。中国は、高度経済成長の間に研究投資開発を積極的に行うなどすべきであったが、もっぱらそれらは欧米企業にまかせっきりであった。新しい技術が生まれることによって、それまでの市場の巨人が退場に追い込まれることは過去にも起きた。米国は、本来の強みである資金調達、市場の大きさに加えて中国にも互して行ける生産コスト製造技術の復活の兆しが現れてきた。そしてシェールガスがエネルギー革命を起こしそうである。米国の本格的な製造業回帰が、再び世界の活力になるや知れない。

目をそむけずに直視すべし。人身売買大国日本。

生活

 人権と平和活動で名を高めてきたつもりの日本国である。本来、取り上げること自体、考えられないような、はずかしい日本の現状がある。これまでも、アジア人女性の人身売買事件が幾度となく発覚したが、それらは、氷山の一角に過ぎないことは想像に難くない。言葉巧みに借金の肩代わりをさせられた女性達が、日本に送り込まれてくる。入国管理法違反で検挙され、一番困るのは彼女ら弱者である。国際事情に照らし、法律の不備が、指摘されているにも関わらずである。騙され日本につれてこられた彼女達は、罰せられ、強制送還される。ここに救いのない日本の冷たさを恥ずかしく思う。世界の平和に貢献したいと国連安全保障理事会の常任理事国に立候補するのも、恥ずかしくお寒い限りである。人権問題では、国際機関から幾度と無くお叱りを受けてきた日本国であり、一向に改まらない日本国なのである。

 

ウライラット・ソイミーという女性受刑者(40歳半ば)がいる。彼女は、タイで夫と3人の子どもと暮らしていたが、夫が交通事故で障害を負い、生活の苦しさから日本に行げば高収入が稼げると誘われ、渡航費15万円を借金し、99年に来日した。日本についたら監視役の女性に「あなたを230万円で買った。売春をして、利息を合わせて550万円返しなさい。」と脅かされた。その後、売春をさせられたが、金はすべて監視役が受け取っていた。さらに、「借金はあと100万円くらいだが、暴力団に売り渡す」と言われ、知人のタイ人男性に頼み、監視役を殴って気絶させて逃げようとしたが、ソイミー受刑者は、ジュース瓶で殴り室内にあった100万円を持ち逃げた。タイ人男性は、組織の報復をおそれ、監視役を包丁で刺殺した。

 

1審は、「ソイミー受刑者は、騙されて来日した。」「背後に大掛かりな組織がうかがえるものの、正当防衛との弁護側出張を退けた。」「強盗致死罪で懲役7年(求刑・懲役12年)を言い渡した。」その後、04年に刑が確定した。

以下、弁護士の福井正明氏の発言に注目していただきたい。

「彼女の場合は、営利誘拐そのものだ。なぜ、被害者が裁判で負けなければならないのか?」と。日本では人身売買の実態さえも全く解明されていないという。ソイミー受刑者は、早く子供達に会いたいと日々願って、刑に服した。先のタイ人少女人身売買事件では、初の人身売買禁止法を適用した。刑法改正で取締りが厳しくなろうとも、被害者救済は十分ではない。人を買い受けた者に「3月以上5年以下の懲役」を科す。営利やわいせつ目的や生命、身体に危害を加えた場合は刑を加重し、「1年以下10年以下の懲役」。

人を売り渡したものには目的に関係なく「1年以上の懲役」を科す。他の刑法との兼ね合いなどもあろうが、余りにも人権を軽んじているような気がするのは小職だけだろうか?辛くとも、人身売買から目をそらしてはならない。

 

一難去って、また一難。根本解決に遠い米国デフォルト危機問題

生活

 先の米国議会の財政規模に関する上限協議の与野党合意については、職員の

一時待機まで引き起こす事態にまでなった。世界の超大国と呼ばれる国が、公務員の給与を遅配したという事実は、歴史的な汚点に近いように思う。

しかしながら民主共和両党議員らは、大方は恥辱のように思っていないようにも伺える。もしかして、毎度毎度のデフォルト騒ぎにならされて感覚が麻痺

しているような気さえしてならない。

新興国のトルコの高官が、わが国は公務員の一時待機や給与の遅配をしたことがないと勝ち誇ったというが、政府高官や議員の矜持として、あるべき姿を謙虚に省みてもよいのではなかろうか。

この調子でゆくと、いつも米国議会の人質にとられ続け、根本問題を遠くしてしまうのではないかと危惧してしまう。ひょっとしたら・・という思いが中国人民元の相対的な高騰を生み出してしまうだろうし、ようやく成長軌道に向かいつつある日本経済のエンジンに負荷を掛けすぎてしまうかもしれない。さらには、世界成長エンジンである新興国の勢いを止めてしまうかもしれない。

なんとしても謙虚に、そして真剣にことに当たってもらいたいものである。

現実に給料遅配の発生をみると、議員らの良識に疑問を投げかけざるを得ない

気分に陥る。

 

ところで、かような醜態をさらしてしまうとき、過去に問われた中国外務次官の何亜非氏の問いに米国当局者は答えられのだろうか。曰く「自由市場が失敗に終わった今、経済で国家のとるべき適切な役割とは、どのようなものか?」

と。中国も不良債権問題や余剰労働力問題、超高齢化社会問題など、米国に意見できる余裕はなさそうであるが、米国も言われっぱなしではつまらないだろう。

とりあえずの債務支払いが開始されてはみたが、本来の10月末日と11月初日の債務履行は厳しいものがある。10月31日中期証券(Tノート)約60億ドル元利払い、短期証券(Tビル)3000億ドルの満期償還、10月31日元利払い。11月1日の580億ドルの支払いなどがある。

 

FRB~連邦準備理事会は、3回の利払いに備えて、Tノート(中期証券)の

全体の17.5%にあたる1,356億ドルの支払い原資を用意できていると

いう。不足分は、国債にするにしろ企画立案し、採決しなければならないのだろうが、後追いの債務履行のことばかりを駆け引きに使う米国議会に、世界の未来や自国の未来を議論する余裕などあるのだろうか?。何外務次官でなくとも、経済で国家のとるべき適切な役割を伺ってみたいものである。

人民高対米ドル基調は、いつまで続くか

生活

 ここのところ、中国人民元の対ドルが目覚しい。比較的わかりやすい2つの理由がある。ひとつは、米国の財政の崖問題でデフォルト騒ぎが大きく影響し、

人民元上昇に働くということ。もうひとつは、米国金融緩和縮小政策、いわゆる出口政策の見通しから再び外資の資本流入が始まると見られていることである。

最も明らかな原因は、米国自体の相対的な力が落ちてきていることにあるに違いない。米国は、かつて本コラムで基軸通貨について取り上げたときにも詳しく述べたが、1970年代以降、金本位制を廃止している。

ほとんどの国では、財務省が紙幣や硬貨を発行しているが、米国はFRB(連邦準備理事会)といういわば民間によってドルが印刷されている。

また、発展途上国や新興国は自国通貨保護の意識が働くのだろうが、金本位制に対する信仰にも強い意識が働いている。

乱暴な言い方をすれば、米国は自国の論理やFRBの理事会の都合で、金に

交換できるというような価値など度外視して米ドルの増刷を行う可能性が強い。

反面、金好きの華人圏では、只管、資産の増加に伴って金が買い込まれている。中国人民元は、国際通貨として決済金額が第9位にあるが、今後、決済の

金額が順調に伸びれば、金本位制的な国際通貨として信任を得てゆくかもしれない。

 

さて、経済分野では圧倒的に中国大陸と一体化しつつある台湾であるが、世界的にも大きな外貨準備高を誇っている。その外貨準備高への人民元の比率を

ここのところ当局者が、戦略的に増やしてきている。

米国の財政の崖問題が、根本解決の程遠く、米国政府が情けないことに、デフォルト(債務不履行)を起こす可能性を否定できないこともあり、危険負担を行ってゆく必要がある。

またアジア圏で中国人民元の決済利用が伸びてきており、外貨準備高への取り入れは、外貨による支払い手段という本来の目的にもかなってきている。

 

ところで、相対的に存在感を増しつつある中国人民元のプレゼンスは、一方的に高まってきているかというとそうではない。資金流入が続いても、不毛な不動産開発や不採算製造産業に資金投下される体質が変わらず、シャドーバンキングによる不良債権規模が不明瞭で、その償却には日本や米国の経済危機以上の長い期間を要すると目されているからである。

客説的にいえば、真に世界経済の付託に応えられる国際基軸通貨が見当たらないのであって、消去法で中国人民元が現在買われているということになる。

薬事方行政指導。笑うに笑えない

生活

 今から3年ほど前に、福島県の会津保健所は、同県喜多方市のパン店に対

し、「薬事方違反の恐れがある」としてパンの包装の表記に改善指導を行った。

問題の記述は、パンに「頭がよくなる」などと表記していた。

消費者は、当局が指導するまでもなくジョークだと理解しており、洒落で

買い求めていたに違いない。それを薬事法に抵触する云々で目くじら立てるのもいかがなものだろうか。パン店の主人は、対策としてパンの包装に、「効果が全く無かったことがわかりました」とシールを貼って「対抗」したという。洒落で切り返す主人には、座布団2枚は上げても良いのではないだろうか。

その昔、クリの形をした「栗(くり)せんべい」というお菓子について、公正取引委員会から不当表示だと指導があったらしい。理由は、「クリが入っていないのに入っていると思わせるから」というものだった。公正取引委員会は、もっとほかにやるべき仕事があるだろうと眉間に思わず筋を立ててしまう。永六輔氏は、浅草の職人や商人をテーマに著書があるが、この話を聞いて、「キリンビールには、キリンが入っているのか?」「かっぱえびせんには、かっぱが入っているのか?」と大いに吼えたらしい。栗せんべい」は、幸いにして今日も売られているとのことだが、「栗せんべい」を買って、「クリが入っていない!」と抗議する消費者はいないようだ。

 

ただ、その年の夏に「入っていない」とうたっていて、「実は、入っていて」騒動になったものがある。「電子たばこ」のことである。やはり、老婆心ながら心配する当局の国民生活センターが、煙が出る「電子たばこ」を調べたら、市販されている半分近くの銘柄で微量のニコチンが検出されたという。表示には、「ニコチンは含まれておりません」。

さて、愛すべき友人のひとりが、たばこをやめたいがやめられないので、

電子たばこにすがってみたという。そして、それでもやめられないというので、「薬物依存で外来検診」を受けた方がよいと小生は申し上げた。

たばこをはじめるのは、趣味嗜好の問題かもしれないが、やめるにやめられないのは、依存症という病気だということを自覚しなければ、対策も打てずにやめられない。ニコチン依存症を絶とうとして、毎日「電子たばこ」にすがり、結果としてニコチン依存の状況が一向に変わらないのは罪深く、すがった人の思いを察するに笑うに笑えない。たい焼きの世界では、巨人の「神田達磨」。繁忙期に毎日、2000枚は売れると。皮をぱりっと焼くために電気で焼くと言う。顔見知りの職人に「このたい焼き、鯛が入ってねえよ」と言ったらどんな顔をするか。公正取引委員会は、どのような見解だろうか。

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