10月2013

高 砂

生活

 婚礼シーズンたけなわである。最近は、適齢の男女が回りにいないせいか、婚礼用のネクタイも長く締める機会もない。また、礼服も外気に触れることも無く眠ったままである。さて、昨今の披露宴事情もあり、招待客も昔ほどドレスコードを気にしなくてもよくなったことも事実である。小学校に上がったころ、(昭和39年東京オリンピック開催年)ハネムーンに出かける時、お嫁さんは誰でも、帽子をかぶっていた。帽子は、「新婚です」といわんばかりなのだが、

うれしそうにはずかしそうにしている花嫁さんたちは、当時の少年の眼から見ていても、かわいらしく思えた。お嫁さんの帽子は、思いを遂げた、可憐な乙女の勝利の愛らしい輝けるティアラでもあった。

 

大学を卒業した年、同級の友人が結婚をするといい、司会を頼むというので慌てて婚礼に関する本を買い込んだ。酒を勧められて断れない場合、舌がもつれると心配なので、分厚いノートを買い込み、進行表や花嫁から父への感謝の手紙に加え、酒癖の悪い招待客にからまれた時の対策まで想定し仕込んだ。悲しいかな想定どおり、かなり酒を飲まされ頭が痛くなるほどだったが、つぶされずに披露宴を終えられた。しかし、一番参ったのは、新郎の大叔父がカラオケ狂で、披露宴の進行を無視し、酔いに任せて最後のセレモニーさえ無視するという暴挙にでかかった時。乱暴だがステージの袖のところで、足を縛り、倒して仰向けにして口に徳利を突っ込み、同期性と押さえこみ、花束贈呈を行った。終了後直ちに、肩を担いで金屏風のところに連れてゆき、大叔父さまを抱えたまま、招待客を見送った。当時は、随分とあせっていたが、今思うと随分と無礼噴飯ものである。

婚礼のスピーチで、小職が引用するのに一番気にいっているのは、早稲田大学の教授のフレーズである。曰く、「結婚は、国語辞典のようなものである。「あ」。『愛』にはじまり、「わ」。「ん」。『腕力』に終わる」このフレーズは、スピーチ

で使うとよくウケた。

 

ところで、古きよき時代、祝言は地域の女将さんの連携による料理の炊き出しと、お燗の後方支援が必定。こぎれいな屏風の前で長老の渋い謡曲「高砂」から宴はたけなわとなった。その「高砂」のくだり。翁は熊手を持ち、媼(おうな)は箒をもっている。だから、「おまえ掃く(百)まで、わしゃ、始終熊手(九十九)まで」のことだと思っていたが、どうやら「始終熊手」でなくて「四十九まで」ということらしい。もっとも、九十九が苦渋苦でないだけよいかもしれない。そうなると、「ともに白髪の云々のくだり」は、男性の願望なのか、どうなのか。人生の先輩にぜひとも講義を受けたいものである。