10月2013

りんどう忌の後、思ったこと

生活

 季節がこの先深まり、朝夕が冷え込むようになれば、街にイルミネーションが輝くようになる。それは、喧騒のなか、静かに、そして、時を惜しみながら光彩を放ちはじめる。その街の通りの角ごとに、時を惜しんで紡ぎ語られる物語もあるはずである。銀座に晩秋から初冬にかけて、美しい光の波が、立ち始める頃。花屋の店先には、「りんどう」がよく見られる。深みのある藍とも紫紺とも形容できる美しく、慎み深く見える花である。

 

「りんどう」は、吉川英治が愛した花である。それを知って、ますますこの花が好きになった。吉川英治は、不誠実な行為をおこなって事業を破綻させた父君により、幼くして重労働に追いやられる。造船会社のドックに落ちて瀕死の重傷を負う境涯にも身を置いた。その彼の回想録の中、印象に残っているくだりがある。横浜の実家から品川の住み込み現場にいた時に、母君から小包が届く。小包をくくってあったのは、母君の古びた赤い腰紐だった。吉川英治は、それをベルト代わりにズボンに通す。先輩達が、執拗にからかいいじめる。しかし、吉川英治はどんな苦境にも折れない。その姿が、いじらしく思えてつい目頭が熱くなった。生きてゆくには、相当の覚悟がいる。ましてや、学校をまともに出ていない吉川英治に、将来を思い描きながら過ごす猶予など一切ない。いつも真剣勝負で、学ぶことと行うことは、いつも一緒であったはずである。その彼の作品、三国志や宮本武蔵、太平記、新平家物語には、小説といえども歴史の一端と歴史をつくる人のありようを学ばせてもらった。「我以外皆師」は、吉川英治の座右の銘と知られるが、それを貫いた誇りでもあろう。



教養の何たるかに思いもよらない人達には、なんともいいようもないのだが教養こそは、誤解を恐れずに言えば、有る意味、大変贅沢にあえて遣い活かす「無駄」である。

インターネットサーフィンや検索では身に付かない見識や胆識。多くの時間をつぎ込み身に付けるものである。文字の鑿(のみ)で胸に刻むなどという表現は、死語になったのだろうか?。

その昔、日本国初代経団連会長が、スイスでの会議でレマン湖畔の景観に感動し、思わずドイツ語の古典詩が口をついて出てしまったことがあった。

このとき、「日本のミッションは、イエローモンキーではなく、知の巨人である」と、欧州政財界人は畏れをなしたという。石坂泰三会長が,旧制高等学校で学んだドイツ文学が、生涯唯一といってもよいくらいの果実と結んだ時であった。人、それぞれにそれぞれの持ち時間を豊かに生きて、ある意味、贅沢に時間を使い、あるいは心地よくも費やし、そして人生至るところに青山ありと。