10月2013

一番大切なもの

生活

 3年ほど前にNHK総合テレビの「今夜も生でさだまさし」という行き当たりばったりの番組で運動会シーズンに印象的なはがきの投稿があった。

 

お便りの内容は以下のようなものであった。

ある地方の小学校の運動会があり、おなじみのお楽しみプログラムである「借り物競争」があった。

ある男の子の借り物の指示に「一番大切なもの」というものがあった。

男の子は、「おばあちゃんの手を引いて、ゆっくりゆっくり歩き、一番最後にゴールした」というお便りだった。特に人を興奮させるような修辞があったわけでもないのに、さだまさし氏以下、スタッフも大興奮!。

 

「この男の子は偉い!」「この子の家庭は立派!」「担任の先生も立派!」「小学校の校長先生が偉い!」などと賛辞の山。ほっとけば、地域中を賞賛する言葉で番組が占められて終わりそうな勢いだった。

 

学校は、我が国の最高学府の東京大学、京都大学に及ぶまで、世に出るために必要な知識や技術を教えてくれる。しかし、一番大事な「どうしたら幸せになれるか」について教えることはしない。カリキュラムにないから当たり前と納得しても、父母が家庭で教えられないことや義務教育課程で教えられないことでも、どうしても知っておくべきこと、身につけるべきは必ずある。

 

新政権の予算編成作業で、無駄をそぐといいながら「無能でもできる仕事」と公の場で法人役員らをこき下ろすような御仁がいた。威を借りて仕分作業しているようだが、後に非を詫びても、この手の人間を使い、我が国民を幸せに導けるとも思えない。この手の御仁は、借り物競争の「一番大切なもの」として貯金通帳や現金をもって走り出しそうである。情けなく寒い思いをする。

 

「一番大切なもの」は、実はいくつもあってよいと思う。しかし、なぜ、大切なのか。大切なものを護り保つにはどうしたらよいのかを身につけるべきである。先にご紹介した男の子のように、ぶれることなく堂々と、最後尾からゴールできるその思いは、優しく強く暖かく誇らしい。私たちに求められているのは、男の子が受けた教育のように、生きる糧をともに生きて学ぶ場をつくることだろう。そのため、手を引かれてゴールしたおばあちゃんのような先生が、一番必要とされる。きっと、おばあちゃん先生は明快な答えをもっていることだろうから。