10月2013

鉛色の雲が立ち込めるような時節

生活

 季節の深まりをもたらす長雨や大風の来襲がこのところあった。

この先は、じわり樹木らの織りなす錦を楽しむべき空の下である。この時節になると、空の色が違ってくる。晴れているときでも青色が薄く、漂う雲も白く薄く長くたなびくという具合。女心と秋の空。さまざまに空の表情を見せてくれたほうが、より季節感の漂う秋の空の表情にふさわしい。

歴史小説の舞台で読む秋の空は、鉛色が深く立ち込めたようなという言い方で形容できるような空である。そして、そのような空からは、すぐに藤沢周平の世界に繋がってゆくように思われてならない。

藤沢周平。いわずとしれた一平二太郎(二太郎は、司馬遼太郎、池波正太郎)

の一人で、愛読者も多く、映画化された作品もヒットが多い。かの「武士の一分」も「隠し剣」シリーズの映画化された。時代小説という言い方がよいのか、歴史小説という言い方がよいのかわからないが、気候風土と人々とのかかわりが粒さに描かれていて、読む者は誰しもその世界に引き込まれてしまう。

前出の時代小説・歴史小説は、思いのほか文学的評価が低いように思われる。

この分野の作品は、大衆娯楽文化の代表として直木賞の候補作品になっても、純文学としての芥川賞候補にはまず挙がらない。時代小説・歴史小説は、純文学にあたらないという考えが文壇に根強くあるとすれば、いたく残念である。

 

藤沢周平氏は、山形師範学校卒業の教員だった。教壇に立つ年月が、浅いうちに胸を患い療養した。その期間が、休職の規定を大きく超えてしまうことから、無念にも職を辞することになる。思いもよらない挫折である。やがて、物書きが好きな彼は、業界紙の記者となり、時間を見つけては創作に打ち込んだ。

作家としては、恵まれていない境遇で力量を努力と才覚で築いていった。私生活では、愛妻に早々と逝かれる不幸にも見舞われる。辛抱を重ねた半生である。

藤沢文学は、作品中の人物が、幾度となく試練や不幸に耐える様子が淡々と綴られているが、下級武士であれば、夏の農作業を厭わぬ様子、農民であれば冬の暮らしの厳しさなどが理不尽な不幸とともに描かれている。他方、彼らは、日々の鍛錬や努力を怠らない。普通の人々が、懸命に定めと格闘している様子が、とても自然であり、奇をてらうような表現もない。ただ、困難の中でも淡然といった感じがするのだ。そして、人間の一分をたたせるような形となる。

藤沢氏自身、自らの文学の暗さをひとつの特徴にあげているようだが、それらの作品は、秋から冬にかけての鉛色のような空を連想させる。いつも暗い空の下にいるが、その暗い空の上に青い空が広がっていることやその暗い空の上に、 暖かな日差しが隠れていることを示唆しているようにも思う。灯火親しむに良い時節。ささやかな幸せを分かちあえるような藤沢作品はいかがだろうか。