10月2013

ヒアアフター

生活

 今、来春の3.11の鎮魂の灯籠づくりに取り組み始めているところである。

その年の春浅い3月に、クイントイーストウッド監督の映画「ヒアアフター」が公開されたが、リアルな津波のシーンがあり3.11震災直後に公開中止になった。「ヒアアフター」。ここより後のことだから、向こう岸というか、来世というべきか、とにかく生きているうちには行けないところに思いを馳せた映画である。劇中、イギリス人の双子の少年が出てくる。一卵性双生児なのだろう、姿形はそっくりである。兄は、真面目な性格で親孝行、弟はいい加減で甘えん坊。ある日、お使いに出た兄が、不良少年らから携帯電話を取られそうになり、逃げ出したが追われて、理不尽にも自動車にはねられで死んでしまう。弟は、どうしても死んだ兄と話がしたいと思い、霊能力者を訪ね歩きさまよう。

突然亡くなった人と、どうしても話をしてみたいと思うことは自然な感情だろう。せめてもの願いを聞き入れてくれるのなら、亡くなった人と話をしてみたいと切実に思っている人は多いはずである。せめてもの願いで切実なものは、お別れが言いたいということではなかろうか。



先の大震災で、自衛官をはじめ多くの方が遺体の捜索にあたっている。あまりにも凄惨なことが多く、精神障害を受けているとも漏れ伝わってきている。責任者の方の話で印象的だったのは、亡くなった方を見つけたら、「一刻も早く暖かい場所へ」というものだった。凄惨な状況では、遺体発見時に衝撃を受けて立ちすくんでしまう方も多いという。だから、一刻も早く遺体を温かいところへと。であれば、傷む遺体と向き合う遺族の方の衝撃も計り知れない。

なぜ、捜索隊は、遺族のために懸命に遺体をさがすのだろうか。精神科医の野田正彰氏によれば、仮に遺体の見つかっていない部分を必死に探すことが、遺体の確認が「悲哀の癒し」になると。また、それは「事故死や突然死に対するせめてもの復讐」だと(「喪の途上にて」岩波書店)。

ここで思いすのが、御巣鷹山の日航機墜落事件を映画にした「クライマーズハイ」の印象的な場面。少女の遺体を見つけた自衛官が、なくなっている片一方の腕を必死になって捜すシーンがある。自衛官の台詞はないが、記者の報告がナレーションとなって流される。自衛官のどうしても、もう片方の腕を探し出してやりたいという思いが語られる。

復旧だ、復興だというのは容易い。しかし、必死に今日までを生き抜いてきた被災者に、今一度、立ち止まって気持ちを整理してもらい、思いの丈を吐き出してもらうことも大切な支援だろう。復興支援の第一は、人の自立支援。経済は大事だが、あくまでも人間が中心の世の中、被災者の心の復興が第一。ボランテイアの支援が下火になってきた。毎日報道されてきた被災風景、ボランテイアも支援疲れがあるのかも知れない。無理をする必要はないが、人の気持ちが遠のいた頃から本格的な復興の始まる。被災者に心を寄せてゆきたい。