10月2013

年相応に育っています。

生活

 小生も50歳以降、なにかと目に見えて体に故障が出てくるようになった。

50歳を境にして、月に一度はかかりつけのクリニックで血圧を測定、そして定期的に様々な検査を行うようにしている。当たり前の話だが、一年に一歳しか年をとらないせいか、体の機能の衰えに自覚ができないことばかりである。

 

優性遺伝のせいもあり、白髪が一気に増えてきた。鏡の前を通り、白髪の中年男性を見つけても自分だと気づくまで時間がかかることがある。基本的にスーツは、社会人になった20歳代半ばからデザインを変えていない。こと普段着は、基本的に中学生以降趣味趣向を変えておらず、情緒も知能のほうも顕著な成長が自覚できていない。ようするに、気分的に学生と変わっていないのだと思う。かようなことが不幸をもたらすこと多々がある。

たとえば、メタボリックシンドローム予防のために運動を勧められ、ジョギングを始めたら、踵が痛くてたまらなくなった。運動不足のせいだとおもったが、念のために検査をしたら「亀裂骨折」を起こしていた。亀裂骨折にめげずに、ウオーキングに勤しんでいたら、「右の膝痛」に陥った。診断では、「水が膝に溜まっていた」。右足の痛みが少しいえたら「左の膝痛」。無意識にかばうことが負担をかけた。気をつけなければ、よかれと思う運動自体が体を痛めつけることにしかならない。結局、亀裂骨折と膝痛は、完治に1年以上を費やした。

 

先ごろ、同年代の男性からトイレが近くなって、夜中に何回もおきるので睡眠不足に陥っていると相談を受けた。多少、近くなるのは自然なことと申し上げ、前立腺の検査をお勧めした。という小生も実父が前立腺癌の切除手術を受けており、良い機会だと考え検査をしてもらうことにした。できれば、待たされることの多い大学病院ではなくて、専門の医療機関のほうがよいとおもい。検索し、千代田区内の病院を探して尋ねた。歴史を感じさせる病院。受診可能な時間のはずなのに、受付には誰もいない。大きな声でお尋ねをしたが、返事がない。仕方がないので、診察室を訪ねたら超ベテランのドクターがいらっしゃった。受付の方がいない旨を伝えると、「今日で廃院」するので、すでにスタッフには転職いただいたとのこと。そして、開業医人生は「あなたが最後だ」といわれ、「どうしましたか?」。検査を御願いする旨を話し、恥ずかしい格好の検査のあと「年相応に順調に前立腺が育っています。歳とともに肥大してゆくものですから心配いりません。」「僕もかなり近いですよ。」との云いのあと、目安として「夜中に2回以上起きる人は睡眠障害が起きるから治療をしたほうがよい。」「そんなときは、〇〇〇〇という薬を処方してもらうとよいが、効かなかったら手術すべき」とのこと。歳相応に発育しているという表現が耳に残った。歳を重ねることをマイナスと考えずに、歳相応に発育と考えたい。頭に脳内活性情報もよいかが、今後、健康情報提供も本コラムで試みたいと思う。

ヒアアフター

生活

 今、来春の3.11の鎮魂の灯籠づくりに取り組み始めているところである。

その年の春浅い3月に、クイントイーストウッド監督の映画「ヒアアフター」が公開されたが、リアルな津波のシーンがあり3.11震災直後に公開中止になった。「ヒアアフター」。ここより後のことだから、向こう岸というか、来世というべきか、とにかく生きているうちには行けないところに思いを馳せた映画である。劇中、イギリス人の双子の少年が出てくる。一卵性双生児なのだろう、姿形はそっくりである。兄は、真面目な性格で親孝行、弟はいい加減で甘えん坊。ある日、お使いに出た兄が、不良少年らから携帯電話を取られそうになり、逃げ出したが追われて、理不尽にも自動車にはねられで死んでしまう。弟は、どうしても死んだ兄と話がしたいと思い、霊能力者を訪ね歩きさまよう。

突然亡くなった人と、どうしても話をしてみたいと思うことは自然な感情だろう。せめてもの願いを聞き入れてくれるのなら、亡くなった人と話をしてみたいと切実に思っている人は多いはずである。せめてもの願いで切実なものは、お別れが言いたいということではなかろうか。



先の大震災で、自衛官をはじめ多くの方が遺体の捜索にあたっている。あまりにも凄惨なことが多く、精神障害を受けているとも漏れ伝わってきている。責任者の方の話で印象的だったのは、亡くなった方を見つけたら、「一刻も早く暖かい場所へ」というものだった。凄惨な状況では、遺体発見時に衝撃を受けて立ちすくんでしまう方も多いという。だから、一刻も早く遺体を温かいところへと。であれば、傷む遺体と向き合う遺族の方の衝撃も計り知れない。

なぜ、捜索隊は、遺族のために懸命に遺体をさがすのだろうか。精神科医の野田正彰氏によれば、仮に遺体の見つかっていない部分を必死に探すことが、遺体の確認が「悲哀の癒し」になると。また、それは「事故死や突然死に対するせめてもの復讐」だと(「喪の途上にて」岩波書店)。

ここで思いすのが、御巣鷹山の日航機墜落事件を映画にした「クライマーズハイ」の印象的な場面。少女の遺体を見つけた自衛官が、なくなっている片一方の腕を必死になって捜すシーンがある。自衛官の台詞はないが、記者の報告がナレーションとなって流される。自衛官のどうしても、もう片方の腕を探し出してやりたいという思いが語られる。

復旧だ、復興だというのは容易い。しかし、必死に今日までを生き抜いてきた被災者に、今一度、立ち止まって気持ちを整理してもらい、思いの丈を吐き出してもらうことも大切な支援だろう。復興支援の第一は、人の自立支援。経済は大事だが、あくまでも人間が中心の世の中、被災者の心の復興が第一。ボランテイアの支援が下火になってきた。毎日報道されてきた被災風景、ボランテイアも支援疲れがあるのかも知れない。無理をする必要はないが、人の気持ちが遠のいた頃から本格的な復興の始まる。被災者に心を寄せてゆきたい。

鉛色の雲が立ち込めるような時節

生活

 季節の深まりをもたらす長雨や大風の来襲がこのところあった。

この先は、じわり樹木らの織りなす錦を楽しむべき空の下である。この時節になると、空の色が違ってくる。晴れているときでも青色が薄く、漂う雲も白く薄く長くたなびくという具合。女心と秋の空。さまざまに空の表情を見せてくれたほうが、より季節感の漂う秋の空の表情にふさわしい。

歴史小説の舞台で読む秋の空は、鉛色が深く立ち込めたようなという言い方で形容できるような空である。そして、そのような空からは、すぐに藤沢周平の世界に繋がってゆくように思われてならない。

藤沢周平。いわずとしれた一平二太郎(二太郎は、司馬遼太郎、池波正太郎)

の一人で、愛読者も多く、映画化された作品もヒットが多い。かの「武士の一分」も「隠し剣」シリーズの映画化された。時代小説という言い方がよいのか、歴史小説という言い方がよいのかわからないが、気候風土と人々とのかかわりが粒さに描かれていて、読む者は誰しもその世界に引き込まれてしまう。

前出の時代小説・歴史小説は、思いのほか文学的評価が低いように思われる。

この分野の作品は、大衆娯楽文化の代表として直木賞の候補作品になっても、純文学としての芥川賞候補にはまず挙がらない。時代小説・歴史小説は、純文学にあたらないという考えが文壇に根強くあるとすれば、いたく残念である。

 

藤沢周平氏は、山形師範学校卒業の教員だった。教壇に立つ年月が、浅いうちに胸を患い療養した。その期間が、休職の規定を大きく超えてしまうことから、無念にも職を辞することになる。思いもよらない挫折である。やがて、物書きが好きな彼は、業界紙の記者となり、時間を見つけては創作に打ち込んだ。

作家としては、恵まれていない境遇で力量を努力と才覚で築いていった。私生活では、愛妻に早々と逝かれる不幸にも見舞われる。辛抱を重ねた半生である。

藤沢文学は、作品中の人物が、幾度となく試練や不幸に耐える様子が淡々と綴られているが、下級武士であれば、夏の農作業を厭わぬ様子、農民であれば冬の暮らしの厳しさなどが理不尽な不幸とともに描かれている。他方、彼らは、日々の鍛錬や努力を怠らない。普通の人々が、懸命に定めと格闘している様子が、とても自然であり、奇をてらうような表現もない。ただ、困難の中でも淡然といった感じがするのだ。そして、人間の一分をたたせるような形となる。

藤沢氏自身、自らの文学の暗さをひとつの特徴にあげているようだが、それらの作品は、秋から冬にかけての鉛色のような空を連想させる。いつも暗い空の下にいるが、その暗い空の上に青い空が広がっていることやその暗い空の上に、 暖かな日差しが隠れていることを示唆しているようにも思う。灯火親しむに良い時節。ささやかな幸せを分かちあえるような藤沢作品はいかがだろうか。

蕎麦屋

生活

 神田。この町は、神田錦町や駿河台、神田淡路町、神田神保町、神田美土代町などと多彩な町で構成をしている。千代田区内でも、日本を代表するビジネス街丸の内大手町とは、大いに赴きが違っている。にぎわいもあるが、すこし猥雑な感じもする。しかし、なんといっても元気に古い店が生き延びていたりしており、人の往来に活力がにじみ出ている。神田で生まれ育った人に聞いたのだが、「ここ(神田)は、良い水の汲める井戸に恵まれていたので、食べ物屋が昔から多かった」という。「神田の生まれだって?スシ喰いねえ!」は、遠慮なく水を使って新鮮なネタをさばき、おいしい水でシャリを炊けるから、「喰いねえ、喰いねえ」となるのだと思う。

神田には、封建時代や文明開化期のようすを髣髴させる仕掛けが、街のいたるところに溢れている。一平二太郎のひとり、池波正太郎ご贔屓の「まつや」も往時の姿のまま、元気に商いをしている。池波正太郎が愛したのは、なんといっても店の雰囲気であって、幼少のころの蕎麦屋を感じさせてくれるからだと書いている。「まつや」は事実、蕎麦だけを商っているのではない。普通の蕎麦屋にあるものは、すべてお品書きにあると氏がこれも書いている。

氏に言わせると、江戸から東京に移り変わる時代、どこにゆくにも弁当をこしらえなくてはならなかったが、蕎麦屋があれば弁当をこしらえずにすんで、多いに助かったのだといっている。最初に外食を商ったのが、蕎麦屋ということらしい。当然、喫茶店が無かった時代は、蕎麦屋をそのように使ったらしい。待ち合わせ場所として、老若男女に関わらず使ったというのだ。正太郎少年は、蕎麦屋で理由ありの男女が湿っぽい話をしているのも、白髪頭の商人が借金の申し込みをしているのも、就職の面接や大店の旦那が若い娘にお手当らしきものを渡すのも蕎麦屋で見てきたということだった。まこと、人生の往来、交差点である。また、戦後の廃墟で最初に店を出したのも蕎麦屋だったと氏は記述している。蕎麦屋は、こうなると単なる食事処ではなくなる。

 

話は変わる。赤穂浪士が、江戸に上ってきて本懐を遂げようと身分を隠して辛苦に耐えていた時、待ち合わせをしたのも蕎麦屋の二階だったし、討ち入りの日、集結したのも蕎麦屋の二階だった。落語でも、「時そば」は特別としても、蕎麦を名人芸で食しながらの聞かせどころも多い。蕎麦は、ほかの雑穀とは違って、冬の厳寒を越える難儀も必要もなく、春播きの秋収穫である。その理由を私の祖母は、「僧侶が旅や修業にあって、精進料理だけを口にしても蕎麦の高い栄養価が、僧侶の心身を支える。蕎麦は、徳の高い食べ物ゆえ、冬の厳しさを味わう必要がないように仏様が導かれたのだ」と聞かせてくれた。それにしても、国産の香り高い新そばで作った「蕎麦かき」を生しょうゆで食したい。

世論を気にする中国政府

生活

 先ごろ、中国に「世論分析官」という職業があり、中国政府がインターネット上の投稿を絶えず検閲するために、実に約200万人を雇って、日夜監視業務を行っていりことを知った。

200万人という数は途方もない。13億の人口に比して、650人にひとりの割合になる。報酬が、月収6000人民元いうから日本円で約9万6千円ほどになる。

 

中国のインターネットユーザーは、6億人ほどといわれるから、実際は300人にひとりほどになる。都会であれば住宅のあちらこちらに潜んでいる感覚だろうか。この事実が報道されてから、ネットユーザーはかなり反発を強めているという。

 

もともとの中国での有力媒体は「壁新聞」だった。

共産党の思想教育も壁新聞が担った。それから、新聞やラジオ放送、さらにはテレビ放送へと発展してきた。

これらメデイアの主は、政府であり共産党であった。

一方的にせよ、発信する側と受信する側はいつも決まりきっていた。

メデイアの覇者こそは、政府であり、真の主は共産党であった。

 

インターネットは、双方向通信システムであり、意見の集約や告知広報に優れているが、この優位性こそが悩ましい問題にとって変わったに違いない。

一方的に共産党や政府の意向を川上から流していればよかったものを、支流の流れの中まで神経を張り巡らせてみる必要が出てきているのである。



先の元重慶共産党書記の薄氏の公判の様子をインターネットで公開したのは、当局の意向を浸透させる意味があったと思われるが、他方、世論の動向を探るために一定情報を公開したと考えられる。

ただでさえ、腐敗役人や悪性に対する不平不満が渦巻いており、恨み辛みの

投稿を防ぐことは出来ないが、すばやく削除することで上手く対応できているのだろう。

 

先ごろ設けられた上海自由貿易試験区ではSNSなどのメデイアが自由に扱えるようになるという期待に膨らんでいたが、容易く実施はされなかった。

中国官製メデイアは、インターネットをイデオロギーの主戦場と位置づけ、監視の強化をしているという。監視を強めているが、振り回されているのは政府共産党に違いなく、メデイアの主は人民に移っているに違いない。

一番大切なもの

生活

 3年ほど前にNHK総合テレビの「今夜も生でさだまさし」という行き当たりばったりの番組で運動会シーズンに印象的なはがきの投稿があった。

 

お便りの内容は以下のようなものであった。

ある地方の小学校の運動会があり、おなじみのお楽しみプログラムである「借り物競争」があった。

ある男の子の借り物の指示に「一番大切なもの」というものがあった。

男の子は、「おばあちゃんの手を引いて、ゆっくりゆっくり歩き、一番最後にゴールした」というお便りだった。特に人を興奮させるような修辞があったわけでもないのに、さだまさし氏以下、スタッフも大興奮!。

 

「この男の子は偉い!」「この子の家庭は立派!」「担任の先生も立派!」「小学校の校長先生が偉い!」などと賛辞の山。ほっとけば、地域中を賞賛する言葉で番組が占められて終わりそうな勢いだった。

 

学校は、我が国の最高学府の東京大学、京都大学に及ぶまで、世に出るために必要な知識や技術を教えてくれる。しかし、一番大事な「どうしたら幸せになれるか」について教えることはしない。カリキュラムにないから当たり前と納得しても、父母が家庭で教えられないことや義務教育課程で教えられないことでも、どうしても知っておくべきこと、身につけるべきは必ずある。

 

新政権の予算編成作業で、無駄をそぐといいながら「無能でもできる仕事」と公の場で法人役員らをこき下ろすような御仁がいた。威を借りて仕分作業しているようだが、後に非を詫びても、この手の人間を使い、我が国民を幸せに導けるとも思えない。この手の御仁は、借り物競争の「一番大切なもの」として貯金通帳や現金をもって走り出しそうである。情けなく寒い思いをする。

 

「一番大切なもの」は、実はいくつもあってよいと思う。しかし、なぜ、大切なのか。大切なものを護り保つにはどうしたらよいのかを身につけるべきである。先にご紹介した男の子のように、ぶれることなく堂々と、最後尾からゴールできるその思いは、優しく強く暖かく誇らしい。私たちに求められているのは、男の子が受けた教育のように、生きる糧をともに生きて学ぶ場をつくることだろう。そのため、手を引かれてゴールしたおばあちゃんのような先生が、一番必要とされる。きっと、おばあちゃん先生は明快な答えをもっていることだろうから。

IMF警告。中国バブル崩壊の危険度。

生活

 10月に入り、IMF(国際通貨基金)が中国のバブル経済崩壊に警告を発した。受け止める人によって、インパクトの質がかなり異なると思われるが、警告を発したのが国際通貨基金だけに、現実的な危険負担を考える人々も少なからず多いと思われる。

警告は、「このまま消費を伴わない、実需を伴わない経済刺激策を借金をテコにして不動産開発や不採算事業等に偏った投資を行っても中国経済は破綻する

可能性が極めて高い」ということになろう。

 

投資を行うのであれば、これからの成長産業やサービス業や情報開発のような持続可能な開発と高付加価値生産が期待できるような分野にということであろう。

また社会保障の分野の充実を図ることによって、中産階級3億人の消費を喚起すべきだということになろう。

 

中国のメデイア映像を見ると天に向かって聳える摩天楼は米国の比ではなく、

お金あまりの経済に見えるのだが、事実は異なるのだろうか。

これまでの「世界の工場」の英国、米国、日本は自前で資金を用意し、世界の工場として世界貿易を牽引してきた。中国の場合は、世界中から資金を呼び込んだが、輸出貿易によって外貨を獲得しても、それを国有銀行で借入担保にして、只管、借入金主体の経済を走ってきた。

そのため、GDPは世界第二位と誇るが、その実、中国国内で国際を発行しようにも引き受けてがいない、消化できないということになる。

 

翻って日本の場合、無計画無制限に国債を発行できないが、市中銀行が引き受けたあと、国民が個人金融資産として保有する余地がまだまだある。

仮に日本の国債発行残高が巨額だと訝る国際金融筋はあるが、保有の大部分は日本国民の個人金融資産であり、国際的な被害は広がらないことだろう。

 

さて、このままでは方向転換しないとまずいと中国にIMFは警告しているが、当の国務院内の見解が一致せず、未だに景気刺激策を唱える高級官吏も多い。また、構造改革を行うはずだった李克強総理も既得権益を主張し、抵抗する勢力に配慮せざるをえない状況にある。

中国で問題なのは、かように問題が生じても一枚岩になれず、可能な限りの策を講じて危機を回避できすに、危機を迎える可能性が高いとことではなかろうか。米国の「財政の崖」問題同様に眼が離せなくなってきた。

上海自由貿易試験区は、中国経済現状打開になるか?

生活

 国慶節という大型休暇ということもあるが、上海自由貿易試験区の滑り出しの様子も見えてきていない。改革開放経済が広東から始まったように、再度の

経済発展の起爆装置になってくれることを李克強総理経済担当責任者らは祈っていることだろう。

9月には、中国の各種経済統計が発表されたおり、かなり上向いているのではないかと日本の経済専門紙誌が見立てを論じていたが、当の中国の責任者らが

陰鬱な気分で未だいるようだ。

理由としては、これまでの中国経済の発展モデル自体が限界に達しているとする見方の専門家も多く、単に上向いた成績だけでは喜べないようだ。

例えば、9月発表の実質GDP成長比率は、四半期で見ると7.7%にまで

戻ったと発表されている。中国国家統計局や中国物流購入連合会によるPMI(製造業購買担当者指数)も3か月連続で前月越えし、12ヶ月連続で指数で

「50以上」を達成している。それでも、責任者らは明るい顔を見せない。

 

ひとつには、歴然とした事実として欧米日の金融機関や製造工場が中国から撤退しており、資金の引き上げも眼に見えて行われているのだが、それら投資家にとっては、「構造改革」が進まないのに経済指数が上向くのは、「前倒し発注効果」であって一時的なものだろうという見立てもあるようだ。

事実、鉄道建設関係や公共住宅建設関係の発注によって、かなり工業生産や

購買発注が上向いたようだが、在庫の上積までは変化がないようだ。本質的な

消費や生産を起こすようなマインドがおきていないのだ。

この先、中国が経済発展させつために不可欠な構造改革は、既得権益者の利害問題に直接かかわるものであり、共産党要人同士の権力闘争にかかわる問題でもあり、不透明なことが多い。

 

上海自由貿易試験区では、外資規制の1069項目のうち、見直しもかなりの分野で行われている。事実、外資規制で単独出資が許されていなかったもののうち、190項目が認められるようになった。期待を寄せる外資企業も注目をしている。上海自由貿易試験区では6領域18分野の事業で規制緩和がなされている。銀行(金融サービス)・海運・ネット事業・ゲーム・信用調査・旅行・人材仲介・娯楽・教育(技能教育)・医療(外資単独出資による医療機関設立)である。試験区の中で成功事例をつくり、改革開放経済大躍進のときのように

上海以外に拡げてゆきたいところだ。リコノミクスでは、都市化推進(農民工

の都市戸籍や公共住宅投資問題)・景気刺激(物価高騰を招くような刺激策は打てない)・構造改革(既得権益者との調整)が重くのしかかっている。

中国化する香港が、世界第3位の金融センターに

生活

 香港が、中国に返還されて17年になる。この間、行政を先頭にあらゆることが中国化されてきた。他方、隣接する広東省の都市は、香港化することによって魅力を増すように勤めてきたように思える。

さて、2013年9月11日の「2013年新華ダウ・ジョーンズ国際金融センター発展指数(IFCDインデックス)」により、香港が第1位ニューヨーク、第2位ロンドンに続いて香港が第3位になったと発表された。

以前、本コラムでも書いたがロンドンの金融都市としての地位は、英国自身

の経済、金融規模によるものではなく、むしろ過去に蓄積されてきた金融に対する知識や経験の蓄積や寄せられる信頼であろうと。本来、金融、経済立国を

標榜するのであれば、日本こそ東京こそ、かくのようにあるべきと。

 

ところで、このたび香港は、東京を初めて抜き第3位に躍り出たことになる。

指数で評価されたのが、香港の成長性ということになる。もともと、国際競争力は高く、世界中の投資を受け入れてきた素地があった。むしろ、失われた20年に代表されるように規模があっても、停滞感の強まった東京は相対的に他のライバル達に力が低まったと考えるべきであろう。

(以下、第4位東京、第5位シンガポール、第5位上海、アジアではベスト10に北京や香港の隣接都市深圳も入っている)

 

ただ香港の成長については、その勢いなど実感として感じるものは大きいのだが、中国本土との貿易取引や投資などの分野で、統計的にかなり割り引いて考えなければならないことも事実である。統計の鵜呑みは、はなはだ危険である。たとえば、中国本土に投資される資金の殆どは香港経由で入るものが大方であるが、欧米の金融機関が直近で、中国本土から四大国有銀行を中心に20兆人民元(320兆日本円)の資金の引き上げがなされていると欧米系金融機関の統計発表があった。米国金融緩和政策縮小にともなう資金の引き上げばかりでなく、米国の財政の崖問題の根本的な解決策が見通せず、デフォルトやそれにともなう米国発の世界恐慌も視野に、危険負担が増していることも考えられる。

さて、世界的に経済分野で長らく地盤沈下の続いていた東京だったが、ここに来て東京オリンピックの開催決定に伴い、長期のインフラ投資にまでよい影響が期待できることになった。本来は、東北アジア、東アジアが東京オリンピックなどの巨大プロジェクトなどの恩恵を享受できるような体制にあればよいのだが、欧州と異なりひとつになりきれないもどかしさもある。東京が、北京、上海、香港などと協働して成長戦略を採れる方法はないものだろうか。

人民元、8年間で対米ドル34%上昇の影響

生活

 中国国家外貨管理局に発表によれば、2005年以降、管理フロート制による

対ドル為替相場は上昇し続け、34%上昇しているという。

本来、中国は輸出主導の経済を標榜してきており、対ドルで人民元安になるように「人民元を売って、米ドルを買い続け」てきた。

 

外貨準備高は、第一義的には経常収支において、保有通貨による支払等に不

足が生じないように予め外貨を保有し、あるいは外国為替取引上の優位を得るために獲得するものである。3月時点で中国は、3兆4千億ドルの保有があった(日本国は1兆4千億ドル規模)。

2013年4月時点のおける米国国債の保有の第一位国は中国で、1兆2,649億ドル、第二位が日本国で1兆1,003億ドルであった。この2カ国以下は1兆ドルにははるかに届かない規模である。

さて、圧倒的に保有額の大きな中国であるが、ここのとこり米国の金融緩和政策縮小時期をにらんで、多少の出入りが小刻みにはあるが外貨流出傾向にある。シャドーバンキング問題が騒がれて以降、欧米金融機関の撤退などもあり、

流出は無理のないところである。

 

中国の貿易において日欧米の3極の取引は大きく、いかに中国が21世紀の大国として君臨しようとこれらの意向を無視できない。特に米国からは最恵国待遇を受けるためには、為替取引の改善をつきつけられており、前営業日と比較して0.5%という数字の限度はあるものの人民元高に誘導してきた。それが、8年間で対ドル34%高にもなったということである。

 

国際経済上で力をなくして外貨を失うことは避けたいが、保有が大きすぎることも、長期国債で保有する場合は危険負担が大きくなる。たとえば、中国は

外為市場での影響力も考え、外貨保有のうち米国債を圧倒的に保有してきた。

米国からみれば、借金であるが先にいって楽に支払おうと思えば、長期的に

ドル安傾向を望むだろう。現実、財政の崖問題も抱えているのでドル安い傾向を強く望むだろう。ドル安になる分だけ、中国は為替損が生じることになり不利益を蒙ることだろう。とはいえ、外貨流出も起きており満期を待たずして、中国が米国債の大量に売りを仕掛けるやしれない。しかしこれも困りもものだ。なぜなら、米国債の売りが強まれば米国の長期金利が上昇することは明らかである。連動性の高いユーロや円にもすぐに影響があわられ、長期金利、短期金利ともに上がる可能性がある。そのことによって、これまで世界からの投資で潤った中国から、さらに外貨が流出が強まることも予想できるがいかがだろう。

« 古い記事 新しい記事 »