11月2013

北京市が関心を寄せた日本の道徳教育

生活

 豊かになった中国では、様々なメデイアが機会あるごとに民度の問題を取り上げるようになってきた。またソーシャルネットワークでも議論が盛んである。

誤解を恐れずに言えば、これらのことに反日的な言動は出てこない。サッカーと市民道徳については、日本を見習えという論調が多い。

ところで、北京市の社会教育(更生教育も含む)の担当者が、交流目的で調査を行うにあたり、縁があって小職も聞き取り調査を受けた。聞き取り調 査は概して以下の2つについてであった。

1.        市民道徳の育成訓練、市民の素行訓練

2.        地域学校の道徳教育

聞き取りを受けるにあたり、日本の風土や歴史を交えて説明を試みた。意外と関心を持っていただいた。当局者が関心を持たれた小職の説明は以下のようなものである。

 

まず、市民道徳の育成訓練等から。

日本は、60年前までは、農民人口が80%を超えていた。現在は、専業、兼業合わせても3%に満たないと思われる。国に長い歴史があったとしても、農耕を基本とした暮らしが、半世紀前までほとんど日本人の暮らしの基本であった。国の歴史のほとんどが、農耕を基本とした集団生活であった。農業といっても、そのほとんどが稲作です。稲作は、神事と結びついている。地域や集団の行事や約束事は、稲作の作業に準じていたということになる。現代社会では、都会はそれらの習慣や意識が崩れてきてはいるが、ほとんどの行事には農耕の色が滲んでいた。

たとえば花見。日本人は、桜の花が好きです。西洋人や日本以外のアジアの人々は、桜といえば、花ではなく、桜の実、桜桃を連想する。桜は、もともと野生種だったが、稲を植える前の苗代づくりを行う時期に開花するので、集落近くの里山に植えられるようになり、品種改良されて現在に至った。花見は、日本農耕民族が気持ちをひとつにする儀式や教育、上下関係を学ぶ機会でもあった。田植えは、集団でそれぞれ所有する田を交代で回り、協力して植えた。田草取りや収穫も同様。

 

さて、家庭教育も重要だと思う。農耕集団では、家庭よりも地域で集団教育を行う歴史が色濃いともいえる。たとえば、大人が田植えを助け合って行う時に、田植えを行わない未成年の年長者が幼い子供たちの世話を行い、集団や地域における決まりごとを教えた。また、生活の術や生きる知恵もその場で教えられました。実は、ボーイスカウトやガールスカウト活動は、幕末の鹿児島で郷中教育を学んだ英国人が始めた社会教育活動であった。

つまり日本における市民道徳の訓練は、地域などによる手段教育訓練が最も馴染む方法だといえる。

 

続いて、地域学校教育について。

たとえば父母や目上を敬う行動は、本来は、家庭でも学校でもない地域の年長者から学び訓練されるものである。この点、都会はこのような機会に

恵まれず、社会教育分野で遅れているように思う。社会奉仕や社会貢献も集団の中で年長者から学ぶほうがスムーズにゆくようである。伝統のある学校などでは、いまだに全寮制を行っているところもあるが、これらは、集団教育の恩恵を最大に生かしているといえる。

学業も人格形成指導も行き届いていると思うが、全寮制に理由があるとおもう。たとえば全寮制の進学校では、定期的に母親の訪問日がある。かようなとき母親達は、自分の子供以外の世話をさせられる。子供たちは、面識のない母親達から世話を受ける。子供たちは、感謝の念をいかにもつことでだろうか。また、母親たちは、自分の子供以外の子供から、さまざまな話を率直に聞くことができるだろう。このような学校は、社会奉仕活動や地域伝統行事参加にも熱心で、この学校をモデルに創設された学校が後を絶たない。

 

さて、サービスの話を。三越をご存知だと思うが、日本の代表的百貨店。そして、三井集団の原点。三越を起こしたのは、三井高利。もともとは、名門の武士。三重県にある伊勢神社に全国からお参りに来た人々の要望を聞いて、情報を商品化した者。また、三井は、「正札掛値無し」という商売を始めて日本で行った。つまり、誰が買いに来ても、札に描いてある値段でしか売らないという商売。一銭もやすくしないとすれば、不満が出そうだが、むしろ「正直」だということで評判が立つ。つまり、商業道徳とういうことである。

三井は、商売を躾(日本的漢字。身を美しく保つ訓練)から教え込む。

商売は、商い(営業)と始末(計算)が大事だということで、商いを「挨拶」

「礼儀」に置き換えて教育し、始末については、掃除、整理整頓などに「置き換えて徹底しておしえた。

 

ところでトヨタ自動車は、三井住友グループに属しています。(借入金もなく、金や営業上の支援も受けてはいないが。)看板方式のことは、ご存知だとおもうが、JUST  IN  TIME ~ つまり、適時適切な部品調達ということである。これは、絶えず整理、整頓、清掃などの訓練に結びついている。

たとえば、部品をどのくらい調達して、どこにおけばよいのか、物が運ばれる導線(通路)には、部品が落ちないように(足元の安全や無駄の排除)、

コンプレッサーや電源をコードで最短距離で引き寄せ、エネルギーの無駄を省くとか、これらは「躾」の延長である。

 

市民の教育の場としては、民間の教育機関なども多くある。

たとえば、社団法人倫理研究会、社会奉仕を目的とするライオンズクラブやロータリークラブなど。視点を変えると寺院や教会なども地域の中にあって、倫理啓蒙や奉仕活動拠点として機能しています。

典型的なものをごらんになるには、地方、とくに西日本や南九州のほうが事例を見つけやすいことだろう。

 

小中学生の教育であるが、学校教育では、倫理道徳の時間がほとんどなく、家庭や地域教育に期待しようにも、都会では期待ができない状況。最近では、試みとして新聞社の支援のもと、新聞を使った社会教育が多大な成果を挙げている。世の中のさまざまな事件を読ませ、あるべき姿を教えるというもの。これも、地方のほうが熱心である。都会では、インターネットやテレビのNEWSで情報を得たら十分という家庭が多い。地方(とくに西日本や九州地方)では、知人に不幸があったときに知らなかったでは申し訳ないという気持ちで、徹底的に死亡告知欄の紙面を読むようである。

また、地方では地域で集団教育を行うところもあり、さまざまな行事や活動を通じて教育されている。ただ、これらは、それら地方が道徳教育に価値を見出し、しっかりと評価する。学業と同じように倫理道徳を評価するという風土があるために成り立っているという状況にあるといえる。都会と地方とでは、分けて考えるべきかもしれない。

いかがな感想をお持ちだろうか。