11月2013

たいめいけんのオムライス

生活

 NHKの朝の連続ドラマ「ごちそうさん」が高視聴率を維持している。

女優の杏さんの人気によるところも大きいが、グルメの話題は老若男女にかかわらず関心も高いようだ。

ところで、ドラマで取り上げられた「オムライス」。オムレツとライスを別々

のして食べていたものを一緒にしてみたらどうか?ということで生まれたらしいのだが。ドラマのオムライスは、追ってオリジナルレシピにて、コンテンツ

セールを戦略的に行うらしいのだが、「たいめいけんのオムライス」がモデル

になっているというまことしやかな噂がたち、いつも混み合う「たいめいけん」

がいっそう行列が長くなっているようだ。

日本橋には行きつけの店もあり、「たいめいけん」には寄らせてもらっている。

オムライスは、いくつものメニューがありたのしませてもらっている。

たまご料理は、火加減が難しいらしいが、たまごの焼き具合とケチャップの

色合いが実に美しい。

小生が、「たいめいけん」にゆくようになったのは、池波正太郎氏が、贔屓にしていたことがあるが昔ながらの洋食屋さんの雰囲気と「たいめいけんの人気メニューのラーメン」がなんともいえず魅了されていることにある。

 

ところで初代の主、茂出木心護氏の葬儀のときのことを孫の希代子さんが作文にしているのだが、池波正太郎氏がそれを自らの著書で紹介し、健全に家庭で生きている少女が端的に現れていると書いている。それを取り上げてみたい。

=作文=

私がお使いから帰ってくると、おじいちゃんは、車を降りるところだった。半年という長い病院生活から、タンカに乗って帰ってきたのだ。私は、おじいちゃんの姿を見ると、もう、まぶたがあつくなってきた。急いで家に入り、母の部屋に駆け込んだ。そこには、いとこが6人そろっていた。私は、わざと笑顔でいった。「おじいちゃん、帰ってきたよ」

みんな会いに行こうとしなかった。私も動かなかった。息をしていないおじいちゃんに会いたくなかった。「子供たちみんないらっしゃい」母の声で、やっとおじいちゃんのところへいった。

おじいちゃんは、北向きに寝ていた。着物を反対にかけていた。おなかに包丁をのせていた。ふつうの人は、小刀をのせるそうだが、おじいちゃんは料理人なので、なによりも大事にしていた包丁をのせた。(中略)おじいちゃんに最後にあったのは、五月二十五日ごろ。若いときからやせていたおじいちゃん。今では、骨に皮がついているようだ。私はおじいちゃんに会いに行ったのに、顔を見なかった。顔を見たら泣いてしまうだろうと思ったから。(中略)おじいちゃんとお別れだ。じゅずをしっかりとにぎった手に汗がにじんでいた。おじいちゃんはおかんに入れられてしまった。なんでいれるんだろう。なんで焼いてしまうんだろう。胸がはりさけそうな気持ちだった。(中略)おじいちゃんは、

最後まで、お店にゆきたいといっていた。おじいちゃんがつくった「たいめいけん」はもうすぐ五十周年。それまでは、生きていたかったと思う。かわって上げたいと思う。みんなを悲しませたおじいちゃん。おじいちゃん、今空のどのあたり、今頃原稿書いているのかな?凧をあげているかな?お料理をつくっているのかな?おじいちゃん。=

 

池波正太郎氏に茂出木心護氏は、「女房は、私が一所懸命働いているところを見て、一目惚れしたに違いないと、私は思っています。私だって若いころはなかなかいい男だったんですから。結婚式は、ごく内輪で六畳一間であげ、式の

ごちそうは全部、私の手作りでした。」と語っていたという。この祖父の生き様がちゃんと健全に育った少女の中に生きていると池波氏が説いている。

小生も遠く、血脈を思い。両親、祖父母、兄弟姉妹、親戚一同に思いを馳せ、ご無沙汰を詫びつつ、「たいめいけん」でオムライスを食してみたい。