「すき焼き スキヤキ 鋤焼き」

生活

実家では、盆や正月には、親類縁者が集まり「すき焼き」を大人数で行うのがお決まり

だった。さて、坂本九さんの「上を向いて歩こう」は、中村八大、永六輔氏による六八九の最高傑作であることに、異論を挟む余地はあるまい。メロデイーラインや歌詞(訳詩も含めて)のすばらしさに加え、坂本九さんの邦楽的な歌い方(坂本氏のご母堂は邦楽家が魅惑的なのか、内外を問わずにカバー曲が多く世に出た。邦楽史上初のビルボード誌制覇は、「スキヤキ」”SUKIYAKI”と名づけて送り出したことが大きかったと思える。

MUSICアワーのRADIOから~WOW  WoW とうなるように寂を詠えば、全米全英の

リスナーも何を訴えようとしているのだろうと関心を示したに違いない。時は、日本経済の未曾有の成長期で、Fujiyama Mt. ,Geisha Girl, Sushi, Sukiyakiの文化もBig Waveのように押し寄せていったことであろう。いずれにせよ耳と口に日本の最高のご馳走である。

「スキヤキ」は、すきやき「鋤焼き」である。

本来、一年の収穫を終えた農家は、農閑期を使い、栄養を吸い上げて体力を消耗した土地を、牛馬の力などを借りて深く鋤きこみ、分解の進んだ有機物を手当てしたり、地中の有機物の分解が進むように手助けをしていた。湯治などは、その後のことである。

さて、その鋤込んだ「鋤」をきれいにあらい、その上で焼いて食べたのが「鋤焼き」である。なあんで、ご馳走を食べるのに、そんな農具の上で食べる必要があったのか?それを疑問に想う方は、たくさん召し上がる権利のおありの方かも知れない。

広辞苑の新村出博士の説によれば、もともと日本では、牛や馬、豚を食べる習慣が無かったので、牛肉を食べる時は、家の中で調理するのを遠慮して、野外で農耕に使う鋤の上で焼いたので「鋤焼き」となったという説である。東京の云々では、「牛なべ」である。

「すきやき」と関西風の名前が統一的に使われてはいるが、「蒲焼」同様に関西と関東では、

なにかと、「割り下」や「砂糖」の用い方など作法がうるさい。



実家では、ご馳走とは、「寿司」「うなぎ」「すき焼き」に集約されていた。

一族が集まり「すき焼き」になると、爺がうるさく差配した。英国では、主がローストビーフを分け与えるのだと師範学校あがりの爺が、その立場を譲ることは無かった。

考え方によっては、自然や地域社会に感謝の誠を捧げるのであれば、当主自身から箸をとり、天からの授かりものを分け与えようとするのは、正しい行いと思えなくもない。

本来の有機農業から大きく遠ざかり、図らずも高級ブランド的なものに育ってしまった。「安全」「安心」は、しっかりと原価計算要素に織り込まれてゆく。有機材は、自然循環がもたらすもので、捨ておく物などない宝の山である。Mottinaiが、マータイ女史のおかげで国際語になりはしたが、マータイ女史のように幾世代もの人を束ね、社会的弱者と自然相手に格闘している人もいる。喜びと生きる糧をさしあげる「もったいない」でなければ、気恥ずかしい思いがする。農村を流れるる清い川の土手あたりで、鋤をきれいに洗って、「すき焼き」をしてみたい。

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