いずれをあやめかきつばた

生活

 読者諸氏は、端唄にある「あやめ」と「かきつばた」は区別がつかれることだろうか?「しょうぶ」と「はなしょうぶ」もある。日本の初夏から雨季に清涼感をもたらしてくれる数少ない花である。小職は事情があって、よく観察している。事情とは水墨画を普及させる団体に所属しているのだが(国際墨画会)、師範教程に課題として設けてあるのだ。「あやめはあやめ」「しょうぶはしょうぶ」らしく描かなければならないのだ。ややこしいのは、昔は

「あやめ」は「はなしょうぶ」をさしていたからである。「はなかるた」の「あやめ」は「かきつばた」である。混乱に拍車がかかるのが無理も無い。

 

「あじさい」の花は、最初は白っぽい黄緑色であるが、だんだん薄い青色に

かわり、さらに淡紅色を帯びてくるといわれている。「いわれている」のだが、

これもしっかりみていたわけではない。「水墨画」の教本にもあるから良く見て

おきたい。北鎌倉は、「紫陽花の寺」が有名だったように思う。古刹名刹は、一年をとおして、開花紅葉の時期を工夫して命の尊さをおとずれる人にやんわりと伝える工夫をしている。水墨画は、これら名刹古刹の開祖たちと同時期、禅宗とともに日本に渡来した。ただ、日本の今日のように書と画を違ったジャンルにおいて伝えられたものではない。水墨画は、その後本家の中国をしのぐ勢いで普及し、また技能も高くなっている。理由は色々あろうが、芸術一家の長男にだけ口伝で承継してきた文化と「水と墨と紙」を駆使して、広くたのしもうとした文化の違いだけ、質において違うものになってしまった。

 

北鎌倉は、仏教学者鈴木大咄の眠るところでもある。この人は、仏教人にしては異質である。アメリカに渡って、長く仏教の紹介をしていたこともあるが、

語学に堪能で、夫人も米国外交官の令嬢をむかえた。この人に感心するのは、歴史学者アーノルド・トインビー博士を恐らく最初に日本に紹介したことだ。

いつか、日本の歴史教育の問題点を指摘したが、大人が自らの責任で歴史を学ぶとしたら、日本史の先生候補には、全国的な支持を集めて司馬遼太郎が押されるような気がする。それでは世界史はというと、第一の候補にアーノルド・トインビー博士をお勧めしたい。著作を読まれた方が多くおいでだと思う。博士の説く歴史学は、知識というより思考法といった方がよく違いを認め合うのに御互い役に立つと思うのだ。しかし、長い時間拘束されるのは嫌だという方にお勧めしたいのは、岩波新書のロングセラーになっているH.G.ウエルズの「世界史概観」「上・下」である。2冊買っても新書本である、一週間で読み終わってしまうだろう。しかし、学校時代と違った感慨をもつだろう。なぜなら、地球が生まれて今日までの日本に無いダイジェスト版だから新鮮なはずだ。

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