おはぎ と ぼたもち

生活




寒さもゆるめば、彼岸もやってくる。例年より、厳しく感じる春。寒さを凌ぐのも楽ではなかったこの浅い春の陽気である。

実は、春先は一年でももっとも厳しい季節であって、三寒四温なる言葉のとおり、目では確かな春の息吹を感じながらも、寒の戻りでしばれることも多い。

さて、この先の彼岸といえば「おはぎ」である。

お彼岸に「おはぎ」を供える家々が多いとおもうが、「おはぎ」でなくて「ぼたもち」ではなのかという人も多かろう。「おはぎ」は大皿に並べた様子が「萩」のようだということが通説で、大方の人にまず異論がない。「ぼたもち」も大皿に並べた様子が「牡丹」のようだという通説で、これも大方の人に異論がない。

では、ややこしいのは、どういうことかといえば、「うるち米」で作ったものを「ぼたもち」というところと「おはぎ」というところがあり、他方、「もち米」で作ったものを「ぼたもち」というところと「おはぎ」というところがあるからだ。おいしければよいではないかという議論も民俗学徒のまえでは吹き飛んでしまう。

しかし、「おはぎ」でも「ぼたもち」でも共通して、おいしいのは「はんごろし」だと筋金入りの甘党たちは言う。「はんごろし」とはたいそう物騒ないいだが、ようするに良い加減に米粒を半殺しにして、餡とよくからむようにするということだ。事情をしらぬ客人をもてなそうと、「はんごろし」の相談を女房と亭主が、小声でしているのを客人が小耳にはさんだら大変だ。

大変なことといえば、「おはぎ」が好きで「自叙伝」にもこれをタイトルとしたプロサッカー選手のカズこと三浦知義。Jリーグ開幕前に四十六を迎かえた。激しいぶつかり合いや全力疾走を幾度と試合中に繰り返すプロサッカーの世界に不惑の現役選手がいること自体驚きである。肉体の衰えを補ってもなお、あくなき向上心と精進がなければ、現役選手として開幕を迎えられまい。ただただ驚きである。誰しも、一年に一歳づつ歳を取ることは間違いない。しかし、中高年になって同窓会に出てみると驚きである。40歳も半ば過ぎから50歳ぐらいの同窓会では、同級生より余計に歳を取ってきたものと歳を遅れ気味に取ってきたものとでは、肉体的にも精神的にも最大で20歳近くも違って見えるような気がする。歳の上手な取り方、重ね方は学校では教えてくれない。

ところで、彼岸とは向こう岸のこと。機根が座らぬ民衆に成仏を説くのに使った方便である。向こう岸に行くのに、四十九日かかるというのは、おくるものの気持ちの整理などを考えてのことだろうと思う。気構えと実践のひとは、即身成仏するので、何の気負いもなく生き生きとしている。これから、どんどん日が長くなる。早起きして朝日を浴びながら、毎日生まれ変わろうという思いと、この日を最期の日として生きようという思いで走りぬけてみたい。

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