さくら、サクラ、桜、花は桜木

生活



季節の花々が、広い空の下で広げる絵暦も、今年も確かな彩りを堪能させて

くれだろうが、今年は桜の開花が例年より、かなり早まるとの予想。花見の場所と取りと空模様とのにらめっこで気をもむ御仁も多いことだろうか。

敷島を薄紅色に染めて北に上ってゆく桜は、今年も無事に主役を勤め上げてくれそうだが、被災地の人々を一時でも慰めてくれればよいがと願うばかり。過日、「桃李おのずから下蹊を成す」のコラムで、欧米人や中国人は、桜といえば、花のことではなくチェリーの事が頭にあり、「花より実」を、「見るより食べる」を大事に思う感性は日本人には理解し難いと書いた。

桜の散り際を美しいと思う日本人を、短い開花期のために何をそんなに力むのかと不思議がる欧米人や中国人も多いことだろうか。

 

花の雲 鐘は上野か 浅草か(芭蕉)

山寺の 宝見るや 花の雨(虚子)

大仏 膝うづむらん 花の雪(其角)

花散るや 伽藍の 枢落としゆく(凡兆)

花に舞はで 帰るさにくし 白拍子(蕪村)

 

断然、花は桜木であって、遺されている秀逸な句や歌が多く、枚挙に暇がないとは実感である。校章や社章に桜をあしらうことも多い。桜は、花というより日本人の最も愛する心象風景のことではないだろうか。そして、桜は歓喜に沸くばかりのものでもない。   散る桜 後に咲くのも 散る桜

 

早く散らせる必要性があったのかと、いつも故郷の春の空を眺めて思うことがあった。薩摩半島南部は、一月下旬から二月ともなれば菜の花が地上を黄色く染め上げる。そして、間もなく桜の時節となる。南には、美しい薩摩富士と形容されるコニーデの開聞岳が美しい稜線を描いて鎮座している。若者達は、

飛び立つと名残惜しそうに旋回し、墓標を求めて雲の彼方に向かった。

せめて、桜の時節には彼らの願いに思いをめぐらせたいと思ってきた。

知人に優れたベテランの看護師さんがいる。

一昨年、死の床について、体が徐々に弱る患者さんに願いを聞いたという。

「せめて、桜の季節、春爛漫の空の下、逝きたい」とのこと。それから、家族や医師、看護婦さんが励まし、励まし、ついに桜の時節の入り口でその患者さんが逝かれたと聞いた。「三分先で、まだまだだと思っていたのですが」と看護師さん。患者さんが満足そうに笑みを浮かべて逝かれたと聞いた。

桜花の波は、今年も北路を辿る。晴れた風の強い日には、桜吹雪が美しい。

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