創造性、成長性、革新性

生活

 よく企業の価値評価をおこなう際に言われる指標が表題の創造性、成長性、革新性である。「収益性」とか「債務弁済能力」とかであれば、決算書類を客観的に財務分析すれば優劣がすぐにわかる。

今時分は、会計の知識がなくても良いソフトウエアがあるし、WEB上で

著名なアナリストの意見も見つけられるので本当に便利になった。

 

それらが「創造性」や「成長性」、「革新性」ということばに代わると少し戸惑うことになる。これらのことばの意味には過去の分析ではなく、未来の見通しが込められているからである。そして、これらのことばは国家や家庭に置き換えてみても重要な指標に違いない。

 

中国では、国家経済の責任者である李克強総理が、威信を掛けていわゆるリコノミクスと呼ばれる経済政策を推し進めようとしている。本来ならば、世界第二位の経済国家になった中国の勢いが、さらに改革にのって拡大していきそうなものであるが、なかなかそうも行かずにいる。それら問題の核心は、自己改革力のようなものではなかろうか。



世界の多くの人々が、認識しているように中国の富裕層は共産党幹部と高級官吏である。ほとんどの国では、王制の国は別にして「権力」と「富」を両方

を手に入れることが至難である。だが、現実に中国では権力のある人間が富を有するようになっている。その結果、権力と富を得た富裕層が守旧派と化して

しまい改革の行く手を阻んでいることがまぎれもない事実となっている。

たとえば環境問題。大気汚染、土壌汚染、水質汚染を繰り返し収益を上げている企業の代表者も業界団体の代表者も、さらには指導機関の行政機構、共産党の幹部も利害が一致する人々である。改善の兆しが見えるはずもない。

同じように不動産開発、シャドーバンキング問題も同じような構造をしている。あえて火中のい栗を拾うどころか、災いから遠ざかり、場合によっては中国を捨てても構わないという裸官と呼ばれる人々も100万人に達するとも言われている。

さて、現在の中国は経済大国でスパーパワーに違いない。しかし、自己改革のできない国家に未来はあるのだろうか?。本来、百年の計を立てることを得意とする国家が、善良な市民に背を向けて近視眼しか持ち合わせていないというのは、はなはだ残念である。世界も中国がどうなるか?というより、経済破綻を織り込んだシュミレーションを繰り返しているようだ。

巨龍は地を這い、その後、天に駆け上るものだが、この先は如何に。

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