国家や社会の安寧のための支出

生活

 以前、本コラムで「更生保護」のことを取り上げた。北京市当局の日本視察

のお手伝いをしたときのことを書いたときのことである。

北京市当局の視察団が驚きを隠さなかったことは、日本では、社会正義を実現せんがため多くの保護司さんたちが、ボランテイアで過ちを犯した人々の更正を願い、熱い気持ちで反省と正道へと導いているということだった。

ところで、直近の資料によると犯罪者に関する支出につき、人件費や施設の償却費、医療費、福利厚生費などを含めるとおおよそ年間2000億円の支出ということである。これに対する犯罪被害者への支援は11億円程度であり、一家の柱を失った家族や寝たきりになった被害者への支援は行き届かず悲惨ということである。まこと犯罪者は、人権という言葉によって弁護士や国家に護られている。他方、犯罪被害者は置き忘れられたようなもので、ようやく法改正が行われ、裁判によっては参加して意見を述べることができるようになった。犯罪被害者となり、亡くなった方の遺族の保障問題や寝たきりの被害者のお世話に、一時的な見舞金支給があっても、その介護生活には一向に光がさし込む気配がせず、法律や行政に血が通っているように思えない。

 

知人の保護師さんのわかりやすい言い方では、「国が、更生保護にかける費用は、犯罪者ひとり頭にすると年間300万円程度」とのこと。

近年、犯罪者の再犯率が犯罪の種類にもよるが、押し並べて50%弱という

ところである。いろいろと意見はあろうが、保護司の方々の献身的な努力をもって、どうにか社会の安寧は保たれている。もし、保護司制度がなければ、更生保護に対する支出はかさむ一方で、支出と効果の論議の的となれば、唇寒いことになろう。更正保護とて、大きく構えて社会教育的な費用である。世の安寧という観点からすれば、ほかの分野でも支出を増加させたほうが、著しく効果を大きくすることになるかも知れない。遡れば、義務教育や単に高等学校授業料の無償化ということ以外に、成人前の国民に生涯にわたって、生きる礎や糧になるような知的財産の形成をすることが可能になるかも知れない。

 

国家財政に関する負の情報に関して国民は、事の重大性に気づかず麻痺している如くに感じる。予算が足らねば国債発行もやむを得ずに靡く。日本の国債の歪さは、世界に冠たる経済国家ながら国債の引き受けはほとんど国内で、真に金融市場で信頼されていないという点である。GDPに比しての国民ひとり当たりの政府債務率は、ハイパーインフレで国の体裁をなさないジンバブエについで下から2番目。毎年、毎月借金して、生活費を賄うような暮らしの先に夢などあるまい。夫婦間で借金のやりくりをして凌ぎ、体裁を作るような経済に未来はない。指導者は、目を逸らさず正直に現状を語り、増税によってしか借金を減らせないと喚起すべきだろう。借金返済も安寧ための支出に違いない。

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