師と仰ぐ作家のこと

生活

 季節が深まり、読書も進む頃となった。街の喧騒を忘れて読書もよいものだ。

はじめて読んだ氏の作品は、高校生の時の「毎日が日曜日」だった。

氏の作品で、「経済」ということばを身近に感じることができるようになった。

次に読んだのは、「男子の本懐」だった。陰鬱な昭和初期の時代の風を感じながら、自らの信念のために左遷や死をも恐れない浜口雄幸首相と井上準之助大蔵大臣の生き方に打ちのめされる思いだった。大衆に理解されなくとも、あっさりと国に殉じて凶弾に斃れる生き方に打ち震えた。その後、ロッキード疑獄が、空しく社会の表で狂い踊った。著書名の背文字を見るだけで、熱い思いがこみ上げるような作品を青年期に保てたことは幸いである。それが「落日燃ゆ」だった。大東亜戦争の戦争被害者への後ろめたい思いや陰惨な事象を正視し、歴史の流した涙と汗を知った。「自らは計らわず」と「論語」の教えのままに、一切の抗弁もせず健やかな生活態度を保ち、絞首刑台にのぼった広田弘毅という人間を知らしめてくれた作家を人生の師と仰いだ。

 

日本史と中国史は、司馬遼太郎そして自らの縁に繋がる海音寺潮五郎の著作に学んだ。近代史と経済は、やはり城山三郎以外に有りえない。城山三郎のように東京商科大学(現一橋大学)にまなぶ学力も無かったが、商学を学ぶことにあこがれ、商学科のある大学に進んだ。入学とともに簿記や会計は愚直に学び、商業高等学校全教程の3ヶ月で終えた。その動機づけは、城山三郎の「輸出」や「総会屋錦城」、「鮮やかな人々」、「百戦百勝」などいくらでも本棚にあった。今、あらためて著作のどのくらいを自分が読んだことだろうかと調べてみたいが、魂の醸成でお世話になった方なのだとつくづく思い知らされる。

夏目漱石が好きだったので、江藤淳の論評を片端から読んだことがあった。

エッセイの「こもんせんす」なども買い揃えたりした。愛着のあった本の著者だったので、愛妻の後追い自殺をしたという事実にはとまどった。が、そのような生き方もあるのだと考えを昇華させた。城山三郎のことを彼の友人で若くして逝った伊藤肇が、著書の中で「リスのようにはにかむ」と形容していることが印象深い。崇高な思想を持ちながらも穏やかな人柄が偲ばれる。近年、行き過ぎが指摘される情報の開示や保護に関する法律に理不尽、不条理と良心にしたがい論陣を張り気骨を示した。世には、一文字の師というものが存在する。俳句や短歌の世界で一文字の扱い方で、大げさにいえば後世の評価が変わるような指摘をしてくれるような人のことである。大仰な古い言い方だが、文字の鑿を胸にあてて刻んだ文字の数をおもうと数千世界分の真理を教えてくれたと感謝の念を禁じえない。城山三郎という作家を知りえたことは、幸福なことと

素直にいま思う。

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