愛想良し

生活

 陽気が、よくなってきた。蕪村の「のたりのたりかな」の感慨は、すこしばかり遠のいたことだろうか。青空が広がる汗ばむような日には、叢の上に寝転がって空を仰ぎたいような気分になる。

そうなると荒川の土手、矢切の渡し、寅さん、渥見清さんと連想されてくる。

寅さんの当たり役で有名になった渥見清さんだったが、やはり下積みの経験がある。渥見さんの場合は、浅草のストリップ劇場で修行をしていたらしい。本来の目当てと違う殿方を相手に、笑いをとろうというのだから生存の厳しい世界に違いない。

その頃の渥見清さんを取り巻くエピソードが伝えられている。

ある日、踊り子のお姉さんが、役者希望という渥見さんを不憫に思い、厳しいことをいってきかせたという話。お姉さん曰く、「ねえ、坊や。役者っていうのはね、眼がね、眼が命なのよ。わかった?わかったら、とっととあきらめて商売替えしなくちゃね。」と。



渥見さんは、心配してくれる踊り子のお姉さんの言を真正面から受け止めて、自室の鏡で自分の顔をしげしげと見たという。「すこしばかり目は細いけれど、なかなか、愛想の良い顔をしてるじゃないか。」と自信を持ったのだという。

結局、気持ちの持ちようで人生は開けてくるものなのかも知れない。

開いてるのか、閉じているのかどうかわからないような 細い目。そんな目が、大きな四角い顔にふたつ。これをなかなか愛想があるとは、ナルシストでもなかなか思うまい。「愛想良し」と思えるところが、やはり渥見清、只者ではない。



ところで、寅さん映画で、大好きなキャラクターに笠智衆さん演じる御前様がある。朴訥とした言いや軽妙な振る舞いなど、余人を持ってかえがたいキャラクターである。

さて、ストリップつながりで恐縮だが、こんな話を漏れ聞いている。

日本初の本格的長編カラー劇映画「カルメン故郷に帰る」は、東京・浅草のスリッパーが故郷の村に帰って混乱を巻き起こすコメデイー だ。「わしが自分で裸で踊るより恥ずかしい」。娘が村でストリップをやると聞いて泣く父親に、

笠智衆演じる小学校の校長先生がいう「恥ずかしいということは人間だけが知っていることだ。尊いことだ。尊いことだよ」と。人間至るところに青山あり。

反転攻勢が、すべてをかなぐり捨てて裸になる気概で生まれることがある。いつでも裸になれるという人には、芯がしっかりしているような強さがある。それに、私たちは誰もが裸で生まれてきたのだ。最期は、裸で還ってゆくものだとおもえば 気持ちも軽くて良い。最期の最期まで、自分らしく生きよう。

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