暦から学ぶ、この国の歴史と成り立ち

生活

 太陽暦で新年があけても、節分(旧暦の正月)過ぎないと正月気分が抜け

ないのがこの国の流儀だと思う。日本にとって恵みの雨は、瑞穂の国に豊か

な山から谷を通り、川を下り田に恵みをもたらす雨ではある。

しかし中国大陸で梅雨といえば、春を告げる梅の花に降り注ぐ雨のこと

である。梅雨の語感に大陸と大きな隔たりがあるが、古来、「戻り梅雨」や「帰

り梅雨」など気象予報士のエキスキューズを助ける言葉が古来からあるのが

面白い。

 

さて天候の話をしたいのではない。日本の暦は、本来、農業暦である。自然とのかかわりを神事で伝える稲作文化は、アジア特有の文化である。稲作は、民族の命を支えてきた史上最大の生命産業と言えないだろうか。天皇陛下は、自ら新嘗(にいいなめ)祭で稲を皇居の水田に植えられる。天皇家は、神事とともにある。誤解を恐れずにいえば神事に基づく御一家である。風水の事も、生活に深く根ざした陰と陽、木火土金水(陰陽五行)に基づき宇宙の構成要素を考えた古代人の智恵には違いない、その評価は別として。仏教、キリスト教伝来以前の史実から、既に生きる術としての農業が、大きくそこに横たわる。そして深く先人達の生活に定着していた。歴史を遡り学ぶためには、これらをまず受け止める必要がある。宗教問題でなくて、日本という国の成り立ちにおいて、稲作と神事のかかわりを無視できない。これは、他方、歴史と神話とを混同させかねない危険にも満ちている。

 

ウラル・アルタイ語族。遠くはトルコ、中央アジアからモンゴル、朝鮮半島、日本列島の民族は、これに属する。言語の上では、否定しようもなく朝鮮半島の人々とは同根である。ギクシャクしている日韓関係ではあるが、日韓友情年の公式行事は予定通り行うとういう事で両国政府は一致した。賢明であるし、当然だろう。「キムチ」や「唐辛子」は、苦手だと言われる方が「同根」を否定されるかも知れないが、それでも「韓流」に影響されてハングルを学ぶ方が、習得しやすさに気づかれるのも、証明を助けるかも知れない。

「魏史倭人伝」に出てくる「倭人」は、尊称ではない。中華思想に基づく「蔑称」である。さて、「倭人」だが「日本人」をさすだけではない。本来、「倭」には「朝鮮半島の南半分が含まれる」からだ。小職の郷里の大先輩、海音寺潮五郎氏をして、本来、「朝鮮と日本は、英米の関係。」と言わしめる。ならば、些細な事象で争わず、英米の利己的な面は学ばず、平和構築の実をあげる世界に冠たる「協働提案」など出来ないものだろか?それを強く思う。

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