桜梅桃李と確かに花は咲き季節は巡るけれど

生活

 厳しい寒さの中でも、確かな生命の胎動があり、季節が巡り花は移り、また

春に。その後、被災された東北の人々の喪失感を少しでも癒すものはあっただろうか?。為政者は、涙も枯れた人々の願いや祈りに応えただろうか?。さらに、指導者の口をついて出る言葉は、打ち拉がれた人々の思いを慰めることがあっただろうか?。この一年、東北の被災者の方々は、十二分に頑張った。困窮する暮らしにも耐えて辛抱してくれた。頑張りも辛抱も足らないのは、東北の被災者以外の人々である。

 

昨年の2月25日に、被災した宮城、岩手両県の小中学生6人が、復興庁を訪れ、3項目からなる復興への意見書を時の平野復興相に手渡しをした。これは、

公益社団法人「セーブ・ザ・チルドレン・ジャパン」が組織した「子どもまちづくりクラブ」のメンバー。手渡された意見書については、高校生も交えてまとめたもの。報道テレビ番組で観たのだが、中学生のひとりは平野復興相に対し、「がれき処理が進んでいない。国は本当に復興するつもりがあるのですか」と迫ったと。平野復興相は、「胸にぐさっと来た」と述べ、提言の検討を約束したという。その時から一年がたち、政権も変わったが子どもらの願いに応えられているのだろうか?

諸般の事情があることや財政上の問題があることは、誰もが承知しているが、

勇気有る中学生の発言を待つまでもなく、この一年は、復興どころか復旧に遠く及ばない段階であり、このお寒い状況をなんと形容してよいのか言葉も浮かばない。勇気有る中学生の発言は、問題の本質をよく捕らえていると思う。移転も含めて、被災地の再生事業を行うのなら、あらゆるインフラ整備に先駆けて「がれき処理」優先されるべきである。がれき処理が進まねば、被災地が必要とする資材を搬送する道路整備も進まず、居住期限を区切って用意された仮設住宅からの安住の場所へ移ることも方策も展望が開かれないことだろう。

政治的な混乱や明確に示されることのないビジョンは、被災者の精神衛生にどれだけ負荷をかけ続けているか知れない。大きく復興の未来図を描いて見せるのは、為政者や官界の仕事になりざるを得ないが、被災者に寄り添うということであれば、民にも大きな役割があるはずである。

さすがに口に入れる食料は足りている。足りないのは、心に必要な糧である。無理強いではなく、生活再建をしようという気持ちがあるときに、就業や起業に必要な支援をしなければ、萎えてしまいかねない。手厚い社会福祉も必要だが、最も必要なものは、自助自立を援ける仕組みである。自ら手にする達成感こそが、必要である。心のセーフテイーネットは、民の善意で編みこみたい。

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