歳末から年始の風景

生活

 歳末の声を聞くだけでせわしくなるおもいがする。コンビニエンスストアが、

本格的に東京に展開しはじめて30年以上になる。往時は、今ほどの便利は売っていなかったが、それでも商店街の雰囲気を随分と変えた。その後、長時間や深夜営業の店が、どんどん増えてゆき年中無休24時間営業の店も珍しくなくなった。

その分、主婦の家庭労働は楽になったであろうか?

かつて、正月や盆は店が閉まるし、従業員は帰省するので、食料品を一家で買出し、日持ちのする料理や食品加工をする必要があった。それこそ、猫の手も借りたいくらいの忙しさで、年越し蕎麦など、年を越す寸前に食することが出来るかどうかであった。いまでは、大皿料理を家庭で作ることも無くなり、専業主婦として家事に当たる女性は少ない。他方、社会進出や男女共同参画社会の推進で、女性の可能性の開花が、いたるところで起きている。家事労働は、大変な労苦であるが、経済的な報酬で報われることの少ない労働である。また、女性の社会参加と潜在能力、その認識は、徐々に広がっては来ているが、社会保障など制度の面では、未だ道半ばである。評価と保証報酬の構築は簡単ではない。この12月には、OECD加盟国で最低の家庭労働評価国とありがたくない称号をいただいてしまった。このことは、女性の社会進出を阻害し、今後

10年くらいで生産年齢人口を10%も減らすだろうと。厳しい見立てである。

 

 

人生は、時間である。持ち時間を有効に使える経営でありたいし、それをまかなえる経済生活でありたい。また、バランスが欠かせない。銀行に預金をたくさん積むための仕事が大事でも、読書で心に文字を刻みつけたい。季節を愛でながら、酒で舌先を洗うことも普通にしてみたい。その時間を価値付けるために、グリーン車やスーパーシートのチケットを買いたい。自分の時間に芸術の空気を浴びるがために、わざわざでも観劇や鑑賞の舞台に足を運びたい。

 

さて、小職の実家の餅つきは、決まって師走のニ十八日午後。「なぜか?」を聞いたが、「昔から決まっている」が応えだった。餅は、頭数に基づいてつかれ、長幼の基準にしたがい一族に配られていった。と、同時に餅粉や来る年に必要なものも配られていった。これは、祭事催事に使われる必需品だった。

地方は永く、家長を尊ぶ習慣が強かったが、別な言い方をすれば、「老婆心」の強かった家や社会を思わせる。世相は、今の時代よりはるかに、嫁に行った娘や遠くにいる息子や孫を想う空気や父母を想う孝行で覆われていた。

 

 

年が明けて、元旦の朝、年賀状が届く。年賀状は、何かと回覧されて批評される。そのうち、一族が集まり、膳が運ばれる。

小職の実家の雑煮には、干した車えびが入っているが、膳も一つ一つの料理も、乳飲み子にも一様に用意される。皆、ひとしく、この家の子どもである。たとえ孫がいるものであっても。そのものも等しくこの家の子である。

食事が終わり、お年玉が配られる、このときが一番、嬉しかった。これも乳飲み子まで等しく配る。

 

幼少の頃、小職はこのときは、家長たる祖父の膝の上にいた、ひとりづつ名前を呼び渡す。よい「拝」の返事が返ってくると、「よし!」というのは、決まって膝の上の小職だった。

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