毎年5月になると思い起こされること

生活

 去る年の5月連休に小生の実父の墓前を尋ねた数組の訪問客があった。

ひと組は、この連休中に結婚披露宴を開いた花嫁とその両親だった。花嫁の父は、その昔、小生の対中国ODA中国国営工場近代化プロジェクトにおける担当通訳であった。彼は、小生に娘の日本留学を託した。娘は、小生が講師を務めていた大学を卒業し、さらに小生の勧める鹿児島の福祉専門大学院で学んだ。専門的なことを学びながら実父の関わる福祉施設で居住し、実習やアルバイトに励み、関係する福祉関係の資格を取得した。

その後、中国進出した企業に勤務する日本人男性を追って帰国した。実父は、結婚には反対しなかったが、体系的な事象を学べる時期は、生涯にさほど長

くは無いと帰国を惜しんだ。

 

ところで、花嫁の父は大きな老酒の壷を抱えて鹿児島に向った。中国華中地方では、娘が生まれると父親は紹興酒を仕込む。花嫁が嫁ぐ日に、その甕を万感の思いで割って振る舞い酒をするのである。故事に習い、それを実父の墓で行いたかったようだが、墓守たちに拒まれ、グラスに注いで捧げた。花嫁の父は、手を合わせ号泣した。いくら慶事であろうとも、襲ってくる寂しい気持や空虚感を埋め合わせられずにいるのだろう。花嫁の父は、その時から遡って5年前に、我ら一族郎党が植樹活動に出向き植えた万里の長城付近の松柏が、随分と大きくなったと語り、生きている実父に日本でお眼にかかれず、月日のたつことが早く恨めしいと泣いた。

 

そして、もうひと組。Y君は、名門醸造会社の跡とりで、放校寸前でこの春

大学を卒業した。育ちがよく、素直な性格だったが、上京して小生の母校に入学。やがて、夜の歓楽街で遊ぶようになってから、学業そっちのけになった。彼の両親は、小生の実父を頼りにしていて良く相談をした。が、親が熱くなればなるほど、Y君の反発が大きくなり、とうとう彼の両親は、さじを投げた。  実父は、亡くなる直前までの10年ほどは、癌と戦う日々であった。が、大正生まれの気骨の塊であったのだろう。体調が悪くとも、上京し歓楽街にY君を捜し求めて出かけたりもした。戦争によって、可能性を捻じ曲げられた世代。その世代の多くの者は、夢をあきらめない気持ちや遠回りを恐れない気持ちがあり、心が折れそうな心情やささくれだった気持ちをよく理解できたのではないかと推察する。

Y君に逃げても何も解決しない。尊い一度の人生を生き抜くのに、遅いも早いも無いだろう。遠回りを恐れるなと諭した。Y君は、「卒業が遅くなり申し訳ありませんでした。」「お約束だけは、お守りできて嬉しく思います」と墓前で泣き崩れた。

墓に入った人の人生は、確かにそこで終わっている。しかし、生前のその人のつくした誠が、前向きに人に働きかけるのなら、きっと荒涼たる人生の原野を突き進みさせ、拓きゆかせるものだろう。人生の糧を、人に差し上げられるなら、たとい墓の中で眠っていようとも死んだとは言い切れない思いである。



先日、ずいぶんと遠回りをした別の卒業生から、子どもを授かったので実父の墓参りしたいと連絡があった。

 

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