甍の波の向こう側

生活

  日中間の解決困難な問題や文化的な深いかかわりあいを思うたびに連想す る著作がある。井上靖の「天平の甍」である。もともと、かの人の天竺への旅は、禁を犯してまでのものだった。旅は、すべてにおいて艱難辛苦の連続であり、地上の果てから、現世に多くの経典とともに西安に戻りついたともいえる。僧の名は、玄奘。西遊記では西蔵法師、つまりはチベット法師という意味である。日本仏教界において、玄奘は絶対的恩人である。

私は、国際協力の仕事で国から西安のある陝西省に派遣されていた時期があった。陝西省の人民政府と打ち合わせるたびに、隋や唐の時代に日本から上海近くの浙江省寧波に流れ着き、そこからさらに当時の長安(西安)に歩いて辿りついた学僧や役人らのことを偲んだ。学僧、とくに空海は、玄奘が伝えた業績を学び、また多くの価値ある仏典と訳本を持ち帰り、宗教界だけでなく日本の恩人となった。西安に辿り着くだけでも偉業だが、業績を中国で積み重ね、さらに日本へ持ち帰った。驚愕すべき事実である。

 

さて、大雑把で恐縮だが西安の位置は、上海と北京を正三角形の一辺と見立てると上海、北京からの同等の長さの辺の延長線上にあると想像していただきたい。中国は、岩山だらけで険しく日本のように水が豊富でなく、また食料調達も容易ではなかったはずである。信仰上の確信や学僧としての使命感が、あったとしても踏破は健全な肉体精神を持ってしても厳しかったはずである。

ところで、隋や唐の時代、大陸に渡ろうとして海の藻屑となったものの数は夥しい。遠くベトナムあたりまで幾度も流され、時代や自らの運命に翻弄されたものもいる。中には、玄奘の示した体系的な仏教を幾十星霜学び、教典を書き写し、あるいは翻訳し、日本へ持ち帰ろうとして海の藻屑と消えた学僧等がいる。彼らの持ち帰ろうとした経典や訳本は、ついに帰りつくことはなかった。が、彼らの成そうとしたことは、これまでの日本の社会や風土に溶け込んできていたはずである。人に血脈があって、親子兄弟を自らの命の別称と呼ぶことができる。仏法にも同じく血脈があって、命と同じく受け継がれてきたものがある。血脈の道を通って、伝わったものは枚挙に暇がない。天台仏教の伝来を始め、大陸との命がけの往来がもたらした恩恵ははかり知れない。

 

シルクロードは、人類の歩みそのものの道でもある。貴重な宝物や親書を届けることに命を懸けた人々が、命を削りながら切り開いた道である。多くの真実が通った道である。そこを私たちは、意図も簡単に機上の人となって超えてしまう。私たちは、命がけで開いた道のことを思い出さねばならない。晴れた日、遠く天平の人々の思いや願いに思いを馳せながら、青空を仰ぎたいものだ。

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