盲人重役

生活

 かつて、話題になった映画に「まぼろしの邪馬台国」があった。考古学ファンは、宮崎康平氏の唱えた邪馬台国九州説に、ずいぶんと興奮させられたらしい。小職は、昔から歴史が好きな方ではあったが、考古学にのめりこむほどではなかった。にもかかわらず、宮崎康平の名前には昔からの知己のような親しみを覚えた。なぜだろうかと不思議に思っていたが、ようやく理由がわかった。



わが国の経済小説の開拓者にして、直木賞作家の城山三郎氏の著作にヒントがあった。「盲人重役」のモデル、その人であった。そして、城山三郎氏の著作

で何度も読んだ「打たれ強く生きる」に宮崎康平氏のことが書かれていたのだ。

「打たれ強く生きる」~以下は、城山三郎氏の著書から抜粋。

“打たれた男が、友人たちの言葉によって慰められた劇的な一例がある。

そのとき男は三十二歳。地方の私鉄をとりしきる常務であったが、過労につぐ過労がたたって、失明してしまった。会社は倒産寸前の危機に在った。

文字どおり、杖となるべき妻は、乳飲み子を残して家出してしまった。

打ちしがれたこの男を慰めようと、一夜、仲間があつまってくれた。会が終わって、飲み歩き、さてバスに乗って帰ろうとすると、まだ車の普及していない時期だったため、多数の乗客が待っていて、バスが来ると、いっせいに殺到し、大混乱になった。にわかに盲目となったこの男は突き飛ばされ、転倒するところだったが、仲間の中でも兄貴分というか親分格の友人に助けられた。

その友人は、「おれたちは歩こう」といい、腕をとって歩き出した。続いて、次のようなことをいいながら。

「いま日本中の者が乗り遅れまいと先を争ってバスに乗っとる。無理して乗るほどのことでもあるまい。おれたちは歩こう。君もだんだん目が悪くなっているようだが、万が一のことがあっても、決して乗り遅れまいと焦ってはならんぞ。」“この情のこもったいい言葉をいったのは、芥川賞作家の火野葦平氏だった。宮崎氏は、盲目の身で会社を再建の軌道に乗せたあと、すばらしい伴侶を得て文筆の道に入り、ベストセラー「まぼろしの邪馬台国」が生まれた。バスに乗らず「おれたちは歩こう」と歩き続けた成果と城山三郎氏は示唆している。



宮崎康平氏は、視力を失い苦労をされた。歯磨きのときは、ブラシに練り歯磨きをつけようとして難儀した。あるとき「『目明きのまね』をしていてはだめだ。」と練り歯磨きを舌の上に置き、水を侵した歯ブラシを口に入れる方法に切り替えたという。人には人それぞれの生き方がある。傷ついた人にはその人なりの、年齢体力の程度や置かれた境涯にふさわしい生き方や生きてゆく工夫がある。年の初めのことでもある。ここはひとつ、最良の生き方を考えてみたい。

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