豊かさを祈り、思う

生活

 小職が、はじめて中国大陸に仕事に出かけたのは、80年代半だった。人々は、豊かさを求め、国家建設に邁進するという意気込みにあふれていたように思う。

市井にあっては、人々が貧しさを克服し真に豊かさを求めようとする様子を見た。それは、日本の高度経済成長を重ねて見る思いがしていた。

しかし90年代に入り、物質的な豊かさと相反し悲しい風景を見聞きするようになった。それは、「七夕婚」または、「カササギ婚」(カササギという鳥が牽牛と織姫の逢瀬の手伝いのため橋を作るという伝説に由来)という言葉だった。



市場開放改革を突き進む中国にあって、現在も繁栄の中心は沿海部の大都市に集中している。結婚し、あるいは婚約していても将来の豊かな生活を夢見て、蓄財のために離れて暮らす地方出身の夫婦や恋人は多い。その男女が、年に一度、牽牛や織姫の如く逢瀬を求めてはるばるやってくる。しかし、一緒にいることが一番自然な二人、経済最優先に離れて暮らしていると、やがて心が通わぬ仲となり、夥しい数の離婚に行き着く時代があった。

そして、「房隷」という言葉が生まれ直訳すれば、「住宅ローン奴隷」とでも言うべき夥しい人々が生まれた。世界が、うらやむほどの好景気でサブプライムローン禍やリーマンショック禍もものともせずに成長してきた中国で。

「大卒者の就職率は50%程度」である(改革開放のさなか大学の定員が2倍ほどになったことも一因)といわれてはいるが実態はわからない。世界で一番明日の夢を見られそうな中国でも、つらい思いをしている人々が大多数である。繁栄も悲惨も全てある中国。



ひとりっ子政策によって、夫婦は、二人で四人の親を支えることになるが、政策的に作られてきた景気過熱により住宅市場は完全なバブル状態にあることは明らかである。バブル経済が、崩壊しないのは想像を超えた体力があるからだろうか。

さて、ほとんどの夫婦は、両方の親から借金をして頭金を作り、夫婦の年収の8倍程度の住宅ローンを組むことになる。そして、収入の半分程度を支払い続ける。日本でもバブル期の政策目標として、サラリーマン年収の5倍以内の住宅供給が目標とされていた。中国の方は、基本的に土地は国の財産なので彼らが求めるのは「使用権」に過ぎないのだが、「房隷」状態では、所有権や使用権の違いは問題ではない。

日本のバブル経済の破綻は、教訓として大陸の人々に生かされないのだろうか。景気は、循環すると日本では小学生でも社会科で学ぶ。中国でも、やがてバブルがはじけ、景気後退は必ず来ることは容易く予想できる。近未来、大陸で数億の人々が、あるいは、住宅を処分しても大きなローン残債を抱えた人々が、苦しみもがいても不思議はないはずだ。

経済のグローバル化と声高々に20世紀末に言われていた。特に米国の価値観を押し付けられ、それに従うことが幸福の免罪符のように信じられてきた。ありきたりの云いだが、幸せになるために金銀財宝は必要だが、絶対条件ではない。成熟社会の常で、縮みゆく日本。お上任せでなく、幸福の価値創造を自ら思い描き挑むことをなすべきである。これから、歳末までのひと月、時間をかけて一年の計をたててみたい。

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