過去20年間の中国経済躍進の要諦は

生活

 経済成長が一時の勢いがなくなったといえども、世界経済のエンジンと中国

は、相も変わらず期待を背負っている。貿易輸出に代表される中国経済の躍進

とは、はたしていかなるものだったのかについて振り返ってみたい。



躍進の基点の第一は、やはり故鄧小平国家主席の「先富論」に代表される

鄧小平理論による社会主義市場経済の実践ということになるだろう。

現実的には、社会主義市場経済なるものが市場経済と異なったものであり、別次元に存在するのか?については、説明に窮するところである。しかしながら、鄧小平理論が説いた具体的な活動については検証可能である。

すなわち、「生産力を高める」ことである。生産力を高め、そのことによって

特に農村(農民)の流動化を図り、工業化、商業化を図り、短期間で中国経済社会を多元的に変革することである。

 

さて、故鄧小平国家主席の「南巡講和」が発表されたのは、1992年のことであるから、中国の大躍進はこの20年間にわたっての連続的な社会変革で

あった。

前出の農村は、国家主導の集団農場を形成するなど、いわば国家から請け負った生産を行っていた。工業でも同じようなもので、国家主導で請負生産をしていた。鄧小平理論以前は、毛沢東国家主席の主導する計画に基づき、生産拠点が配置されたために、経済効率よりも集団農場等を中心に置き、あるいは政治的な理由から大規模国有工場を配するなど、実情から遠ざかっていたともいえる。毛沢東理論では、低い生産性から生まれた貧しさを賞賛するようなところさえ見られていた。

ところで、1978年当時の所有形態別生産額比率の推移でみると中国国家

統計年鑑によれば、国家の生産請負の典型だった国有企業の生産額は、全体の

80%程度である。それが、20年後の1998年には30%程度にまで割り込んでいる。穴埋めするかのように増えた所有形態は、改革開放によって進出を果たした外資系企業と「郷鎮」企業である。郷鎮企業は、農村で生まれた工業部門である。生産性の低い農業地域にあって、短期間で劇的に農業の過剰人口を吸収しつつ爆発的に成長していった。農村に生まれた郷鎮企業であっても、国や党の主導で創立され運営されてきた国有企業を凌駕するまでに成長した企業や外資系企業と資本や技術の提携を行いグローバル化を果たした企業も生まれた。今や生産量世界一となったビール会社にも郷鎮企業として生まれた有名企業もある。生産力の向上という大目標に始まったにのである。

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