「サダコの歌を知っていますか」

生活

 白龍をはじめとするモンゴル人。いまや身近なモンゴル人だが、原爆忌になるとモンゴルの人々を強く思い出される。そのことについて、触れてみたい。



その昔、モンゴルで食料増産支援と鉱工業調査分野の国際協力業務を遂行していたことがある。あるとき、ドライバーに少し長めの昼休みをやろうとして、「休んでいい」といったところ、後に先輩にしかられたことがあった。ドライバー氏は、休むには休んだが、「食事をしていいといわれなかったので、長時間労働の激務に関わらず昼食を摂らなかった」のだという。命令に忠実というか、馬鹿正直というか、あきれた。それから、モンゴル人のメンタリテイーに関心が高まった。



「サダコの歌」のことは、ご存知だろうか。内容は、辛く悲しい。

被爆し、快癒を願って、鶴を折り続け12歳でなくなった「被爆の子の像」のモデル佐々木禎子さんのことを歌ったものだ。彼女は、爆心地から1.7キロはなれた自宅で被爆し、黒い雨を浴びた。後に被爆による白血病を発症し、亡くなった。実兄の雅弘氏によると、彼女は家計の苦しいことを察していて、本当に苦しくて、苦しくて我慢ができないときにだけ、注射をねだったのだという。

「根をつめて、折ってはいけない」という親御さんの注意にもあまり耳を貸さず、アメの包装紙を2センチ角に切り、針を使って丁寧に折り目をつけて鶴を折ったのだという。

現存し、手元に残る折鶴は5つ。

雅弘氏は、9.11の被災地の人々にそのひとつを寄贈した。

さらに、五大陸の人々に託していきたいという。事務総長バンギムン氏も「禎子さんの命は、自身が折った何千羽という折鶴の中に行き続けています。」と就任後、原爆忌に寄せている。

さて、世界史や日本史とくに近代史を十分に教えないカリキュラムのせいではなかろうが、広島長崎の原爆忌を知らない、終戦記念日やアメリカと戦争をしたことさえ知らない高校生が多い。なんとも憂鬱な気分になる。

ところで、「サダコの歌」。佐々木禎子さんの心情を察し鶴を折る様子を歌った曲。広島の高校生のどれほどが、歌えるだろうか。モンゴルでは、遊牧民を含めてほとんどの人々が歌える(ただしモンゴル語訳曲)。原爆も、被爆者の無念や祈りも受けとめて歌う。モンゴル人は、大陸的で日本人の細やかな心情がわからぬようだと誤解も過去多かった。彼らの名誉のために否定しておかねばならない。彼らは、サダコの歌を彼女の心中を察し、泣きながら歌う。

(鹿)

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