5月の第2日曜日。6月の第3日曜日

生活

 先日、鉢植えの赤いカーネーションを買い求めた。

花屋の店先で、季節の花にふさわしいとおもったからである。カーネーション

をなぜ母の日に贈るのだろうと子供の時に思ったことがある。この時期は、カーネーションが不足して手に入らなかったからである。みんな、自分のおかあさんの好きな花を贈ればいいのに。そう思ったことを懐かしく思い出す。

カーネーションを母の日に贈る習慣が定着したのは、母の日を提唱したアンナ・ジャービス女史のご母堂がカーネーションが好きだったからだと後に聞いた。母の日が、5月の第2日曜日というのは、女史が5月8日のご母堂の3回忌に友人知人の賛同を得て、母の日の制定に尽くしたからだということらしい。

その日は、1907年の5月の第2日曜日ということなので、母の日も100年ということになる。

母親に感謝を捧げたいという思いは、万人共通なので、宗教や風俗習慣によって少しづつお国柄で異なるが、母の日は、多くの国で3月か5月に制定が集中しているようである。



「父の日」は、「母の日」に比べると陰が薄い。

普段、あまり家に父親がいないことによるのだろうか、「父の日」は「母の日」のおまけのようにしてできたのではないかとおもっていたが、ドット夫人という方が、若くしてなくなったご母堂にかわって、ご尊父が男親一人で4人の子供を育て上げたということに関する感謝と尊敬を捧げたいとして、「母の日」制定から遅れること3年に運動を起こしたらしい。ドット夫人の献身的な努力からか、制定後ほぼ6年で定着したらしい。「父の日」に娘から「バラ」を贈られてうれしそうにしている親父族を見かける。たまにだからと「バラ」を奮発してくれるのかもしれないとおもったが、ドット夫人が、バラをご尊父の墓前に捧げたことによるらしい。父母に対する感謝や尊敬の念は、自然な情からあふれ出てくるものであり、逸話も故人に因んだり、連想させるものだったりと穏やかに耳に入ってくるものばかりのような気がする。

さて、敬愛する扇谷正造氏の著作で、母の日の制定後の件の女史のことが書いてあった。「母の日」の制定自体、万人の賛成するところだった。カーネーションもご母堂の愛された花として好感をもたれ、母の日の花に定着したようだ。しかし、その後も、ご母堂に対するさまざまな思いがあったのだろうが、女史の母の日に対する思いと活動は注目されることがなくなり、晩年は寂しい人生だったとあった。人それぞれに人生があり、思いがある。人を教訓めいた話や行動の強制によって、幸せに導くことは困難なようである。間違いなく人は、それぞれに父母から生まれ出でる。それぞれ、価値を創造することが相応しい。

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